再寛解になりました。
- Day:2011.03.23 21:09
- Cat:再発後地固め入院闘病記
昼食がちょうど運ばれてきた頃、医師はまず私とは別の違う担当患者に回診した。私はもうドキドキなのかワクワクなのか不安なのか期待なのかわかんない気持ちでそれが終わるのを待っていた。
そしてようやく腰を上げて私の方へ。
ジャジャジャジャンッ!
そう言いながら笑顔を向けて「消えたよ!」と言ってくれた!
もうもう、もうもう、私の顔は緩むにいいだけ緩んじゃったよ。ニヘラ~とたぶんなんともだらしないフニャケ顔だったんじゃないかな。思わずそのとけ落ちちゃいそうなホッペの筋肉を支えようとするように両手で顔を押さえた。そうでもしなきゃ顔が緩んでしまってしょうがない。
(・∀・)ニヤニヤ
(・∀・)ニヤニヤ
(・∀・)ニヤニヤ
再寛解に入ったのよ!もちろんゼロではないかもしれないけれど、精密な検査にひっかかる程度のがん細胞は私の血液の中からいなくなった状態。
ここからがスタートなのだ。再発して、自家移植をするためにはまず私の体をその「寛解」の状態にしなくてはならなかった。ようやく、ようやく一歩踏み出してもいい状態になったのだ。
。・゚・(ノ∀`)・゚・。 う・・・嬉すぃ・・・。
ここからは「地固め療法」となる。この寛解状態を自家移植の時までキープしなくてはならない。そのために、また同じ抗がん剤(トリセノックス)を同量投与していく。今度は月~金曜日の5日間投与して、土日はお休み。それを5週間で1セットとなるらしい。
すぐに札幌の移植病院のベッドが空けば5週間もやらないし、満床が続いてなかなか行くことができなければ2セットやらなきゃならない。いずれにしても札幌の病院に行くまでは投与し続けるということらしい。
とりあえず今日はまた外泊して自宅にいる。主治医の話ではトリセノックスの教科書的休薬期間は5週間だそうで、しばし身体を休めることになりそうだ。
そして、この後のことで宿題を出された。
それはカテーテル。今の状態は下記の写真の右側のもので、カテーテルがそのままブラリと出ていて、この方法だと最長72時間しかつまり止めが効かない。そして感染症の観点から、この状態でお風呂にざぶんと浸かることは出来ない。水に濡れたら必ずすぐに消毒が必要。だけど必要なくなれば外してしまって、必要になったらまた差し込めばいい。
そして出された宿題はこのカテーテルの状態ではなくて、リザーバーという皮下に金属製のプラグを埋め込み、点滴はここのプラグに針を差込むというものらしい。
写真右側↓
お隣のベッドの患者さんが写真を撮らせてくれました。
それによって血管に直結しているしプラグは皮下なので衛生的でお風呂にも普通に入れるという。ただ、主治医は私が他の人よりも再発のリスクを多く持っていることを挙げて、このプラグは治癒とされる5年間は入れっぱなしにして欲しい、という。後で看護師さんの話を聞くと、取り外すのはまた外科的に軽い手術になるので(5センチほど切開するらしい)一生入れておく人が多いという。
そう、このふたつのどちらにするかを考えておくのが宿題。
迷う。一生といわれたらちょっとびびる。でも看護師さんが言っていたんだけど、このタイプにすると胸元の開いた服も着られるし温泉にだって行けるし、というのが魅力的ではある。そして親に話したら、父は「一生入れておかなくたって5年後に外せばいいだろう」という。そうだよね、重く考えずそうすればいいのかもしれない・・・。
だけど、身体に金属パーツが入ったままというのはやっぱりちょっと引くんだよなぁ。なんか外したらすきっと何も無いのがいいし。一長一短。答え出ず。しばし数日悩むことにします。
いずれにしても今とても嬉しくて今日はいい夢を見られそうです。
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