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デイゼロから一か月目の記憶。

写真を整理していたら記録に残すのを忘れていた写真があった。
久しぶりに闘病中のことを少々。
(多少ひどい状況の写真もあるので見たくない人はスルーしてね)

これは私の記録写真。今日の記事は覚え書きです。
2011年8月7日。移植日が7/12なので約一か月経った頃、ようやくカメラを持つ気持ちになれた時に撮ったもの。意識はあるものの身体の状態は最悪。

まず手。
手のひらから全体の皮が厚く固くなった。その後徐々に剥けはじめた。
真っ黒になった皮は手のひらだけじゃなく手の甲も。筋肉がない自分の体を移動させるために腕をテコの要領で利用していた。手のひらが痛いので握ったグーをベッドにつく。するとグーにしたこぶしの関節に力がかかり角質がますますかたくなる。そんな状態。

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次は足。
足も手も同じく皮がむけていく。それでも無理に剥がすと傷になって感染症にかかっては困るので、絶対に剥がさないこと、自然と剥がれるのを待つこと、と医師に言われていた。

左足の裏は真っ黒になっている。ここもすべてべろーんと剥けることになる。

深爪になって化膿したりすることを恐れて爪も切ることができずにいた。
それにしてもものすごいむくみだったんだなあ。ふっとい足ー。

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次に腕。
この痕は点滴のために腕に入れていたカテーテルを止めていたテープに負けて水ぶくれになってしまった痕。もともと傷の跡が残りやすい体質なので今でも少し残っている。

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そして首。
手も足も、そしてこの首をはじめとして全身の皮がこんな風に黒くなって剥けた。黒くなるのは細胞が死ぬからなんだろうか?

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いまもところどころうっら痕や色素が沈着してしまった部分があるものの、現状では温泉に入れるくらいにまで治った。

だけどこの時はもうずっとこのままなんじゃないかと思って昼も夜も泣いていたっけ。命が助かっただけでも、なんていう言葉はあの時の私には正直言ってきれいごとにしか聞こえなかったし。

大量の抗がん剤が私の悪い細胞もイイ細胞も殺したわけで、今となってはこの時のひどい状況はまたもや命の代償ということだったんだろうと思う。

はぁ・・・やっぱり二度とこんなことにはなりたくないや。