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裏切りました。

裏切っていいですか。

みなさんのご心配を裏切っていいでしょうか。



・・・・・幹細胞・・・


な、なんと

なんと採取に成功しました!


こんなことが人生に起きていいんだろうか。私はやっぱり、やっぱりツイてるんだってことがコレで実証されたんじゃないかなぁ???

さて、長くなります、顛末です。


今朝、私の心はやっぱり曇り空で、その雲は厚く水分を含んだ雨雲で、いつ降り出すかはきっかけしだい。そんな感情だった。看護師さんは私の不安定さを察してじっくり話をしてくれていた。今後行うだろう骨髄移植の話などをいろいろと詳しく聞かせてくれていた。

そのとき別の看護師さんがグランの注射を持って登場。私も看護師さんも「え?」って感じ。だって幹細胞の採取が中止になったということは当然グランもしないから。

ふたりして「まさか、今朝の採血結果が良かったとか?」と顔を見合わせて、看護師さんはそれでもオーダーが出ていることを確認できたので私に注射したあと、「採血結果取ってくるね!」とナースセンターへダッシュ。

その直後に医師が登場。「実は今朝の結果が昨日の倍になっていたの。その結果を血液担当の医師が取れるかもしれないって」「だから今日カテーテルを入れて採取することになったのよ」という。それでもその時点ではまだまだ細胞数は足りないという話だった。

何しろ昨日は10倍の量が必要だと言っていた。実は昨日の夕方来た医師に私はこういって訴えていた。

「今日は昨日より痛み止めが効かないほどグランによる体中の痛みがひどい。今日中止を決定するならなんで今日グランを打ったんですか?これだけ痛いのなら、もしかしたら幹細胞が出てきているとは考えられませんか? もちろん、ただの白血球が増えているだけかもしれないけど。でももし増えているかもしれないものを検査せずに終わったら、今後ずっと憂いを残すと思うんです」

話が終わる頃には私の気持ちは医師に通じたようで「検査が入っているか確認して、入ってなかったら僕が間違いなく入れておくから」と言ってくれた。それはもう私の熱を医師に伝導させられたと感じた。

その結果、今日ただの採血ではなく、幹細胞の検査があったというわけで。

今日は47000台と昨日より白血球の値は落ちていた。でも幹細胞の値が0.03から0.06に増えていたので採取に踏み切ることが決定したというわけで。

その後は怒涛だった。お昼前から約1時間かかってテレビ室で透析用の太いカテーテルを足の付け根から入れた。私の太った体型から苦労されてしまったみたい。

そして病室に戻ったら急いでお昼ご飯を食べて直後に採血室へ。
これが自己幹細胞の採取の様子。

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医師にも顔は隠すけどブログにのっけていい?と承諾をとって写真を撮らせてもらった。:) この医師、とっても楽しいひとで、本当はこんな格好で覗き込む必要は無いんだけどポーズとってくれた :)

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通常は三時間もやらないらしいんだけど、少しでも沢山とるために今日はそれだけ時間を割いてくれた。技師さんや看護師さんがずつとお喋りに付き合ってくれてわりと早く感じる三時間だった。

肝心の量。朝来た医師はたぶん量は足りないんじゃないかと思うと言っていたんだけど、結果としては今日一日でだいたい体重の1.9ぶんはとれたらしい。ほんとうは2.0必要なので、あと10キロ痩せてもらえばばっちり。だけど今の量でもギリギリ大丈夫、とのことだった。

そしてすでにカテーテルは抜いていった。

これが今日一日の顛末。
私の粘り勝ちだろうか。もちろん医師たちの技術なくしては成しえなかったんだけど、きっかけとしては粘り勝ちだったような気がするよー。もう本当に他に言葉が見つからない。

嬉しい!

またひとつ選択肢が残ったんだもの。それも奇跡のようなことが起きてね。

これからがっちり全身に他の病変が無いかをくまなく検査する。胃カメラや大腸検査。などなど目白押しらしい。でもいいの、そんなの耐えるの。一筋のこの光を絶やすわけにはいかないもんね。


毎日毎日が怒涛です。こんな風に急転直下なんてこともあるかもです。ハラハラさせちゃってごめんね。私もびっくりしたんだよ。昨夜検査を追加してくれた医師も「検査はkaduriyeさんの後悔の無いように入れるけど、僕も明日取れるようになるとは正直思えないから、それだけは、ね」と念を押していたくらいだから。


やっぱり私は・・・・ツイてるんだよね?!

YE━━━━━━ d(゚∀゚)b ━━━━━━S!!

一夜明けて。

思い返すとやっぱりすごいことだよなぁ、と思う。
昨日のミラコー。イッツ、ミラコー。

医師も無理だと一度はあきらめたのに、アタシって・・・持ってるオンナ。

ミラコー・・・・v(゚∀゚v)


さて、昨夜はあれから熱が出た。グランを打つと熱が出る場合があるらしい。
一日中で疲れたし早々にテレビを消した。
夜中にようやく熱が下がって着替えをして朝までゆっくり眠った。

今日はなんにも無い一日だった。
朝、ズラリと来た医師たちに囲まれて体重の話をした。
恥ずかしいなぁ・・・。
大学病院の医師たちはだいたい私と同じかそれよりも下の、要するにぃ若い男性なもんで。あ、でも今までの地元の医師も私とひとつ違いだったけど平気だった。なんか今はまだ慣れていないせいか恥ずかしい。数値までバーンと声に出されるわけで。向こうは患者としか見てないっつーのに。

でも自分の病気にもこれからの生活にも太っていていいことが無いことは自覚しているので、「頑張ります」と気合十分に言っておいた(´∀`)

午後から検査項目を伝えに来た医師は「それでも短期間で10キロとか減らすと体力が落ちるので、せいぜい4キロか5キロ程度でいいですからね」と言ってくれた。

しかしなぁ、どっちにしろ3週間程度でそれでもなかなかきついかもな。でも頑張ろう。とりあえず食事は全部食べないで、間食はしないですごすことにした。やれそうな気がするぅ~。


で、明日。一週間ぶりに両親が来てくれる。医師に聞いたら外泊OKだというので、ホテルで一緒に泊まってくることにした。楽しみ楽しみ♪

明日の金曜から土日を除いて来週はびっしり検査。
なので一晩だけの息抜きをしてきます。


拍手コメみーちゃんへ
業務連絡でございますー。あのね、ようやく意味がわかりました!私が寝ているとかなんだろう?と思っていたの。携帯にメールが来るわけではないのですよ。携帯でHotmailを読むので携帯電話で起こされることはありません。安心してね。それとめんどくさいお願いばかりでごめんなさい。実は絵文字だけじゃなくて半角も「???」で表示されてしまいます。ほんとごめんね。出来れば全角絵文字なしでお願いできますでしょうかー。よろしくです。

本日外泊ナリ。

今日は外泊。ルンラルンラ~♪

温泉の許可も出たことだし楽しんで帰ります。
病院を出て思いついた買い物をして、温泉ホテルまでゴー!

減量をしなくてはならないからホテルの食事もちょっと気を使ってお膳タイプにした。バイキングならとんでもなく食べてしまいそうだったから。楚々と盛られた食事は大正解。ゆっくり少しずつ食べたのでお腹も満たされたしなんとか増えずに戻れそうだわ。


さて、札幌の病院らしいことをちょっとだけ。

病院から札幌中心部の眺め。
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そして、今日の昼食。
ジャージャー麺とともにアスパラが出たんだけど、これが北大農場で取れたてのアスパラだった。茹で加減もばっちりで、歯ごたえも甘みも十分の太くて美味しいものだったの。まるで病院食とは思えない一食でした。
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幹細胞採取。

一昨日の自己血液採取の話をもう少しだけ詳しく。

採血室に行くと長パジャマに着替えさせられ、下着を取って準備完了。まるで歯医者の椅子のようなところに座る。

そこではこれから過ごすだろう時間をひとつも動いてはダメなので、一番楽な姿勢をと何度も言われて体を合わせていく。枕の高さや背中の倒し具合、足の上げ具合など。確かに後で考えれば楽な姿勢といわれる状態にしておいてすら終わったら体が痛かった。

そして鼠頸部から入ったカテーテルに細胞を取り出す機械の管を取り付ける。ここからの血の流れは次のようになる。
体から出る→遠心分離機にかけられる→その中から幹細胞の層をピックアップして抽出される→その他の血液が体に戻される。その最後の段階で「カルシウム」が補給される。

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このカルシウムは幹細胞と同じように取られてしまうので戻りの血液に不足してしまう。すると低カルシウム血症が起きると、手足に先に引きつりがおきたり唇に痺れが出るなどの症状が起きる。なのでカルシウムを補給してあげなくてはならないわけだ。

実際私も手はなんともなかったけど、唇がピリピリしびれるような症状が起きてきた。もちろんすぐさまカルシウム供給量を増やしてくれたけど。

それがやく3時間。トイレに行きたくなるギリギリの時間だった。通常は2時間程度らしい。私の場合は取れないかもしれないと言われたくらいなので、出来るだけ多くの細胞を採取してしまいたかったのではないかしら。

人によっては動いてしまったり、動かなかったとしても遠心分離機の内部に乱れが生じることによって採取にバラつきがあるという。私の場合はさんざん取れないとか少ないとかあったけど意外にも安定して遠心分離機が採取してくれた。

取出しが終わったら、機械に残った血液がすべて体に戻るまで15分くらいかかってようやく拘束が解かれた。足はカンカラカンに硬くなってて曲げるのもつらかった。すぐに戻ったけど。


そして昨夜医師に聞いたところによると全部で約10リットルの血液を回したらしい。この量は、私の体内にあるだろうと計算される血液の全量だそうだ。そう、私の血は一度すべて体内から出て戻ったことになる。

また、採血結果を見ると血小板が採取する前の約半分になっていた。それもやはり血小板は遠心分離機の中で幹細胞とともに採取されてしまうんだそうだ。でもそれはすぐに回復するから心配ないということだった。

この動けずにいる間、看護師さんがお喋りの相手もしてくれるし、お水も飲ませてくれるし3時間なんか全然苦じゃなかった。「もうちょっとやれますけど」と言ったくらい。まー、それはその後の検査課の方々の残業にもなってしまうししなかったけども。

そんな感じで幹細胞の採取が終わったのだった。
覚書程度ですが。また何か思い出したら追記しますね。

リフレッシュ。

病院に戻ってきてしまったよ。あぁー。
24時間もなかった。

相変わらず私には体力があって元気でちゃんと歩けてて、どこが病人なんだろうと自分でも錯覚してしまう。これが旅行ならいいのになぁと思いながらベッドに戻ってきちゃった。


一週間ぶりくらいに来てくれた両親。父が希望して医師とお話をした。

何を聞くのかと思ったら、たいしたことじゃなかった。太ってる私の治療にとって抗がん剤の計算というのが大変なことは覚悟しているので、あとでがん細胞が残ってしまったから再発してしまったということが無いようにやって欲しい、そんな希望を直接伝えたかっただけだったようだ。

医師はそんな話を聞いて了解した上で、もちろんそうするけど後で後悔しない様に薬を使えば癌細胞をなくすことは出来るかもしれない。でも同時に量が多いということは私がその負担に耐え切れなくて亡くなってしまうというリスクも併せもった両刃の剣であることを、わかりやすく説明してくれた。

私もあらためて認識した。本当に怖い選択を医師たちはしなくてはならないのだ。自分が出来ることを私は真剣にやらなくてはいけないんだ。

それはもちろん減量のこと。10キロが冗談ではなくなってきた。

今日病院に戻ってから回診で来た別の医師はその話をもっとリアルなものにした。リハビリを組み入れていこうと思うと言っていた。ここの血液内科では入院で体力が落ちることを防ぐためにリハビリをするらしい。もちろん無菌室であっても出来る限りのストレッチや筋力トレーニングなどを、きちんとした療法士の指導の下で行っていくらしい。「病人は寝たきりで体力落ちちゃったけどしょうがないね」なんていうのは古いらしい。

それと同様に私にはダイエットリハビリを組もうということのようだ。要はスポーツジムに通うように有酸素運動や筋力トレーニングをするんだって。ちょっと嬉しいじゃない?治療の一環だから安くスポーツジムに通って、それも股関節やひざに関しては医師の診断ツキ。こんなチャンス二度とないかも。頑張ろうとメラメラしてきた。

まるで減量治療を保険を効く形でやってもらえるんだから。そして食事は自分でちゃんと気をつけていけば、退院までに10キロなんかもっと減るんじゃないだろうか。

健康的に痩せることで治療がやりやすくなるのなら私は真剣にやんなくちゃだね。

このダイエットリハビリは来週から月ー金の5日間毎日。体力を奪われる検査の日以外は行われるような話だった。入院してから今のところ食事だけで2キロ半くらい落ちた。この勢いに乗ってやってやろうと思う!



さて、昨夜は朝里川クラッセホテルに泊まってきた。
あまり新しいホテルではないけど、お風呂も広いし露天風呂なんかも気持ちよいホテル。

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和洋室だった。私はお布団で。

夕食は昨日書いたけどバイキングではなく和洋御膳にした。せっかく体重が減ってきているので健康的な食べ方にしようと思った。正解。少しずつを時間をかけて食べたらじんわりお腹は満たされた。

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お肉もあまり大きくなくて良かったし、シメの十穀米の磯辺あんかけもヘルシーで美味しかった。

リフレッシュしたし今日からしばらくは両親も来ないから甘えもナシ!
体のメンテナンスをストイックに頑張らなくちゃだね。

静かな日曜日。

明日から木曜日まで耳鼻科、外科、婦人科、呼吸器科・・・そして胃カメラ、大腸検査などなど目白押しのようだ。

今日はその嵐の前の静けさ。

しずかに体を休める日となっている。

さっき、こっちに住む友達が来てくれた。あまり長くは話せなかったんだけど。

ケーキをいただいた。ろまん亭の生チョコレートモンブラン。

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お昼ごはんを半分に減らしていただいた。美味♪

あと半日。ゆっくり休もう。

昨夜は夜遅くまで同室の女の子が電気を煌々とつけていて寝付けなかった。そのせいか今日はすごく眠いさ。まったくいまどきの若者ときたら (^^;)

移植前の準備。

私のベッドテーブルの上。
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テープ持参していて良かった。ここの病院は検査や受診の予定を一枚ずつの紙に起こしてくれる。で、それを忘れないように貼ってみた。明日の分。

今日から移植前の準備として全身くまなく検査する日々。脳のMRIのときには私が軽いながらも喘息モチなので造影剤でアレルギーがおきる心配があった。外来患者だと検査は出来ませんってことになるらしいんだけど、入院なので主治医が立会いのもと検査が出来るらしく。

少し待っていたらチームの中のひとりの医師がやってきて約30分間付き合ってくれた。目のMRIのときよりか少し楽。それでもうるさくてやだねぇ。

今朝までに蓄尿検査とその他提出がいくつか。そしてお昼ギリギリに耳鼻科受診。午後にもあったのに病院側の都合で明日になった。それでこんだけ連なって貼られることになったわけさ。

多忙なのはいいことだ。入院生活も短く感じるから。私の仕事はこれしかないしね。

そうそう、体重。入院してから食事に気をつけて約3キロ落とした。約9日間か。今朝の医師チームの回診ではちょっとほめていただいた。終始体重の話しかしなかったけど。それも冗談交じりの。

「退院するまでにセクシーバディになっちゃうか」なんて一人の医師が言ってドッと笑い。「吐き気止めしなかったら20キロは痩せれるかもよ」と言うと上司の医師が「それはまずいだろー」でまたドッ。なんだかんだで私が「じゃ、吐き気止めはナシでお願いします」といってまたドッと笑い。もう楽しい回診だったわ。

でも、ほんとうにちゃんと痩せなくちゃ医師たちは大変みたい。
自分のできること、みんなが笑ってくれてるうちに頑張ろう。

検査疲れ。

…(;´Д`)…つ…疲れた…。

今日の検査はタイムスケジュールで追われたような内容だった。

朝食は絶食で朝イチに腹部エコー。売店でおにぎりを買い朝食にする。そして10時半からは外科で肛門を診られ、そのまま11時には呼吸器で喘息の診断。

疲れて病棟に戻りお昼ご飯を食べて、12時半すぎには歯科受診のために出発。別棟までテクテク歩いていった。そして歯科が終わったのが14時半。そのまますぐに心臓のエコーをしに行ってようやく15時半頃ベッドに戻った。

もうもう・・・へとへと・・・へとへとじゃー!

明日は大腸カメラ。今夜から下剤三昧。明日は朝昼と絶食。
うへぇ。




がんばります。でも今日は疲れちゃったのでこんなトコで。


といいながら追記。

今夜の夕食にまた北海道らしいものが出たよ。
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じんぎすかーん!
普通の味が嬉しい。ここの病院ほんとバラエティに富んでいるし選択メニューが多いので、同じメニューはまだ一度も出てないよ。飽きないというのがちょっと嬉しいじゃない。

ポリープ。

なんという一日だっただろう。身も心も疲弊しきってしまったよ。
・・・ったく。

夜中の2時頃から下剤が効き始め、まともに睡眠をとれないまま朝になった。朝食を絶食してコイツを飲んだ。

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ムーベン、レモン風味。2リットル。レモン風味という表現は間違ってはないかもしれない。でも塩っぽい感じのほうが先にたつ。そして甘い。結局マズイ。

水道水で溶かすのでぬるい。なので少しすすんだ頃に冷蔵庫に入れた。それでもなかなか冷たくはならず「うっぷ」と何度もなりながら飲んだ。これを飲むともう便も便というものではなくなる。汚い話だけどシャーッと出る。しまいにはそれは本当にレモンイエローの透明になる。

そして午後からの検査なので昼食も抜く。電解質を含んだ液体を点滴した。
これががっかりだった。私もいうのを忘れていたから悪いのかもしれないけど、「点滴のラインを取ります」と看護師さんが私の腕を調べた。絶食してるしもともと脂肪の多い私の手。まっすぐの血管を探し出すことが出来なかった。その結果がコレ。

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手の甲までやられましたぜ。アィタタタタタ。

なんとなく前の地元の病院と比較して、看護側の申し送りの違いが目に付く。リザーバーが入っていることがすぐにわかってくれればこんな痛い目にも遭わなかったはず。

そしてリザーバーの取り扱いも大学病院はちょっとシステムが違うようで、リザーバーに針を刺すことをわざわざ医師を呼ぶのよ。地元の病院はそんな程度のことはみんな看護師さんがやっていた。リザーバーの取り扱いにも慣れていたような気がする。医師に「え、先生がわざわざ?」と言うと苦笑しつつ「大学病院なんてこんなもんさー。だから仕事がいっぱいなんだよなぁー」と笑ってた。病院批判するつもりはないけどさ、なんかちょっとしっくりこないんだよなぁ。。最初からここに入院していたら気づかなかったことかもしれないんだけどね。

さて、午後1時過ぎに内視鏡室で検査が始まった。私、ものすごく緊張していた。何しろ腸の中を人工物がクネクネ入っていくなんて人生初。嫌だよぉ・・・。出来るだけ深呼吸しながら頑張ったけど、やっぱりカープのきついところに差し掛かったら痛くて泣きそうになった。冷や汗みたいな嫌な汗をかいた。

盲腸まで到達したあとは、ヤツがどんどこ戻っていくのがわかる。だいぶ戻りかけた頃、医師が「ん・・・あー、2,3ミリのポリープがありますねー」「でもこのくらいなら大丈夫でしょう」「あ、ここにもあったかー」なんて結局小さなポリープが4つあった。終わりに差し掛かり「あー、これはちょっと」「5ミリあるなぁ」「これはとったほうがいいですね」と言った。

もうその時点で気分が悪くてしょうがない。早く、早く抜いてくれ!こんなカメラなんかやらなきゃ見つからなかったのに!なんで、なんでー!

終わって着替える時になってもふらふらするしショックで気持ち悪いしもうサイアク。歩けそうに無いので帰りは車椅子で病棟まで帰った。なんかもう何にも考えられない情けない状態になっていた。

病室に戻ってもなんだか疲弊しきってしまって力が出ない。またまた泣けちゃってしょうがないのでデイルームにいって母に電話して報告した。「ポリープは癌ってわけじやないんだよ、もちろん採ったら検査には出すけどさ」と言ってくれた。その後父からも電話が来て「おれと同じだ。大丈夫だ。そんなもん日帰りだ。5ミリだろ?おれなんか親指大だぞ」なんて励ましてくれた。ちょっと笑ってしまった。ってか笑えたし。大丈夫だな、うんと思ってベッドに戻った。

メソメソしていても始まらないさ。せっかくデッカイ大学病院にいるんだし、入院しているうちにサクッととってもらって帰ろう。

ただねぇ、何しろこんな疲れて苦労して検査して見つけて外来だったらその場でサクッととっちゃうんだろうにさ、今の私は白血病治療が先の目的なので下手にとるわけにいかなくてそのままにされてしまった。あたらめてとるときにまたもう一度今朝からの辛い準備をしてカメラを入れられるという不快感があるのがなぁ。嫌んなっちゃう。

そんな一日。もうもううんざり。全身毎日毎日こねくり回されているような心境。

ああ、そして残念なのが今日ひとりの同室のおばさんが退院してってしまった。入院したときから約10日間、話しやすいし私の親くらいの年齢だったのでなんか親しみやすかった。

そしてもうひとりわがまま三昧の女の子がついに個室に移された。小児の頃から病気と付き合っている子だったんだけど、学校にも行けなくて大人の中で育ったせいかお姫さまみたくなっていた。その子のわがままを聞いていたら私もそのおばさんもストレス受けてて、たまにふたりして発散しあっていた。

今日はついに治療を拒否したり行方不明になったりと大きなトラブルを起こしたので、個室で管理されることになったみたい。

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というわけで、今夜は4人部屋に私一人のシングルユース。まるで個室だぜよ。のんびりウォークマンで音楽を聴きながらPC三昧しているのさ。あの子が毎晩点けなきゃ眠れないといった電気も無くなって真っ暗で寝られる。悪いけど嬉しい。ほっとした。

さて、明日は胃カメラで朝食をまたも絶食ナリ。
今日はちょっと長くなったけどゆっくり眠りたいと思います。

血小板の抗体。

今朝の回診でいやーなことを言われた。
それは、私の血小板に抗体ができてしまっているということだった。

今までの血小板輸血で他人からもらっているうちにそれは出来てしまうらしく、型の合わない血小板が入ってくると攻撃してしまい輸血ができないということらしい。

血液を構成するヘモグロビンなどと同様の血小板にも「血液型」のようなものが多数あるんだって。血小板は血を固めてくれる作用があるもの。なのでそれが無いと怪我をしてしまったら血がとまらないということになる。傷をするばかりではなく、もし頭をぶつけたりしたら脳内出血、とかね。

自家移植をふくめて移植をするときには、自分で血液を全く作れない状態にする。ということは輸血が必ず必要になってくる。そのときに血小板の抗体があるということは「即」輸血をできないということになるからやっかいなんだとか。

ただ、移植に関してはスケジュールが決まっているのであらかじめ注文しておいて用意しておいてくれるらしい。もちろん自分の血液を作れるようになれば問題ないんだけどね。

でもなぁ、今後たとえば交通事故とかさ、大変なことにはなれないわな。それにその血小板の型を今調べている最中らしいんだけどー、一般的な型だといいなぁ。珍しい型でなかなか手に入りませんなんてことにならなきゃいんいんだけど・・・。ドキドキ。

こういうときに献血をしてくださる人々がたくさんたくさんいたらいいのに、と思ったりする。一人の人が沢山するというよりも大人数の人が献血してくれればそれだけ型の合う人が見つかる確率が高くなるわけで。

そんなわけです。またやっかいなことを背負ってしまいました。でも大丈夫よ、きっと。なんたって私は持ってるオンナ、だからね♪


さて、昨日のポリープの件。夜に医師が来たので聞いたみた。
「大きさは?」と聞かれたので「5ミリ」と言うと「あぁ、それは大丈夫じゃないかなぁ。たいてい1センチを超えたら悪いものに変化するといわれているんだよ」「5ミリならサクッととってしまえば大丈夫」「もちろん検査にはかけるけどね」と母と同じことを言った。

不思議なもので母の言葉を信用してないわけではないけどさ、医師に言われるとなんでこう安心するのかねー。同じこといってるのにね。そんなんで安心して眠ることが出来たよ。

今日は朝から絶食していたのに、内視鏡室に呼ばれたのはもうお昼ご飯という11時半ころだった。腹減ったんですけどーっ!
そして胃カメラ・・・。ありえない。もうやりたくない。去年のときは看護師さんの合いの手がいいのか医師が上手なのかかなり楽に出来た。苦手意識が減ってきていたのに。なのに今日はもう涙によだれにゲップにもう百年の恋も覚ますけど?みたいな姿だった。幸い大腸と違って何も心配なことは無かった。慢性の胃炎があるだけだったのでほっとしたー。

さあ、そして夕方からはリハビリ。今日はメニューを決めるための体力検査。筋力をみて、最後にトドメが6分間の早歩き。早歩きで廊下を歩いて6分間でどれだけの距離を歩けるか。これがきつかった。最初こそ「いけるいける」と思ってた。最後までたぶんペースは落ちなかったけど(意地でも落とすもんかと頑張ってみたのでね♪)6分終わってみたら汗がダクダク。久しぶりだ、こんな歩いたの。

今日はもう胃カメラで全身の筋肉を使い、リハビリで有酸素運動とまぁ・・・・満身創痍。 そして待望の夕食。

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ドーンとドライカレー。美味しいし嬉しいんだけどココは減量中の身。三分の1のところに線を引いてそこまでをゆっくり食べて我慢。

食事も制限食にするという手もあるけれど、実はコレ、私が勝手に決めたんだけど自分自身のモチベーションを測るためのものになっている。食べれるものを目の前にして自分がちゃんとセーブできるか。まだまだ気合十分、てとこですわ。

明日は午前と午後の二回、一日中の歯医者三昧ナリ。

一年前の私。

昨日は一年前に私が完全寛解で退院した日だった。

2010年6月9日 「突然の退院」

意気揚々だった。あとは5年間再発することなく生きていけたら、そう思うばかりだったっけ。まさか一年後の今日に遠く地元を離れた札幌の病院で移植を待ってるとは。人生は本当に面白い。いや、言葉が違うか。何が起こるかわかんないし自分の希望通りにいかないことで出来ているよね。思うとおりになる人生ってきっと少ないはず。

これから先の私の人生はどうなるんだろうね。
それでもあの一年前「笑っていよう。笑って生きられる方が幸せに違いない」と思ったことだけは忘れないようにしよう。苦しくてもつらくても悲しくても、また笑えるときは来ると信じよう。


昨夜から私の病室は二人部屋になった。夕方になってついに四人部屋に復活。賑やかに・・・でもない。わりとおとなしい人が多くてあんま賑やかではないかな。

今朝の回診で血小板の抗体のことを少しだけ詳しく聞いた。HLAというものが型らしい。その抗体はすべての他人を攻撃するわけではないかもしれないとも言っていた。たとえば、型が違う私とAさんとBさんがいたとして、Aさんからの輸血には拒否反応を示してもBさんのには反応を示さないとか。

私の抗体がどれだけのものを拒絶するか目下調べ中だそうな。いい子ちゃんでありますように。排他的に他を拒絶するような悪い子ちゃんじゃありませんように。HLAの話はそれ以上深く出来なかった。忙しいらしい。もっと聞きたいなぁ。ってか講義を聞きたいくらい。以前の地元の主治医も私の「詳しく教えて攻撃」は避けていたしある程度知っていればいいのかなぁ。

そうだ、ちなみにこんなことも言っていた。血小板って新鮮なものである必要があるので、献血してとりためておくことは出来ないんだって。だから献血などでHLAが判明している方にお願いして、私が血小板輸血を必要とする二日前くらいから呼び出して採血させてもらうんだって。究極の献血だよね。私はその方にお会いすることは無いだろうけど、そのドナーの方にも頭が上がらないってわけだ。お仕事で疲れているかもしれない、休暇をとってくれるかもしれないわけだしね。

さて、来週は放射線科で左肩から新しくカテーテルを入れることになった。現在の右鎖骨下のリザーバーはシングル(単管)だから所詮使い物にならないんだろうとは思っていたけど。やっぱり入れるのかぁ。

正直言って私としては入れたくなかった。リザーバーをはずしてそこにダブルカテーテルを入れて欲しかった。私の皮膚はわりと傷跡が残りやすいので、広範囲に何箇所も傷跡がのこる、それを避けたかったんだ。

でも、医師の判断としてはリザーバーを取り外すという処置をするのは傷を大きくしてしまって、今の抗がん剤治療前の私にはよろしくない、ということらしい。うーんうーん・・・なんとなくあんなに悩んでリザーバーを入れたのに、大して役に立たないなんて残念な気さえする。

でもすべては私の自家移植に向けてただそれだけに集中するという主治医チームの当然といえば当然の考えなんだ。私の「こうしたい」っていうのは二の次なんだよ。うん、そうなんだ。


今日は歯科三昧だった。病棟から遠く遠く離れた別棟の診療棟へ。まるで運動のようで朝から疲れてしまった。

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レトロな待合室。

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ここに朝から一回、夕方にも一回。フラッフラだよ、もう。

その間の昼過ぎには今日からメニューを組まれたリハビリ。これもなかなかにハードだった。筋力は落ちていないといわれたけど、有酸素運動は久しぶり。もう汗だくになった。このリハビリでは目標は2週間で約1キロから1.5キロ落とすことだそうだ。ご飯の制限も合わせたらなんとか目標の10キロ減までいけるんじゃなかろうか。

現在入院してから4.6キロのマイナス。がんばっちょります。

医師の一人から週末外泊もアリだといわれてちょっと浮かれて考えてみたけれど、現在札幌ではよさこいソーランまつりが開催中。この期間はホテルもいっぱいになるし人ごみも雑菌だらけなのでやめた。おとなしく一週間の検査疲れを癒したいと思います。


昨日の献血の件。うまく伝わらなかったら本意ではないので改めて私の思いを書いておこうと思った。

ブログのヘッダにも書いてあるけれど、この病気になって沢山の輸血をした。本当に本当にありがたいと思った。献血は善意のボランティアでしかないから。お金が動くものでもないし。

そして今回の血小板の抗体のことで沢山の人が献血してくれることによっていろんなHLAの型のものが登録されるわけだし血液を必要としている人たちからするとやっぱりありがたいことに違いない。

ただ、これってさやっぱりボランティアなんだよね。「献血は善意です」なんて言われるけど、当然肉体に針を刺したりするわけで簡単なことじゃないと思うんだよね。

善意があってもボランティアをやりたくても出来ない人はたくさん居ると思うんだ。いろんな事情の中でね。この3月の大地震の被災地へ瓦礫の撤去やへどろのかきだしに行きたいと思ったって私には到底無理。それと一緒だと思うんだよね。ボランティアはできることをやる気を起こしてやるだけ、それだけなんだと思う。

出来ない人に無理強いするものでは決して無い。だからね、私はブログで闘病記を自分の覚えという意味も含めて書いている性質上、献血というボランティアのありがたさを伝えることだけはしたい。ただそれだけなんだ。

献血したこと無い人がふと「自分にもできるのかも」と思ってくれるだけでいいの。そこから先はそれぞれの人にお任せしたい。体力、時間、思想、いろんなことでできないことはあるんだから。

ただそれだけ、ちゃんと伝えたかったのでした。ハイ。

じゃ、今日はお疲れなのでこの辺で(って長く打ったな)。

静かな病室にて。

一日静かだった病室で食べて寝てだけではイカン、ってことで売店に行ったりスタバに行ったり。それも同時に済ませられるのに午前と午後に分けてみた。

とはいっても今日はデイルームも含め病院内に見舞い客が少ないせいかエレベーターもスイスイと到着してしまうので、なんともあっけなくその散歩は終わってしまう始末。

寝たら寝たでうなされた。病衣を着た私が廊下で倒れる。立ちくらみで倒れたときみたいな頭が重い感じがする。誰かが近づいてくる。カツカツと黒い革靴。と同時に背中側からガバーっとと何かがのしかかるように覆う。そして耳元で低い男性の声。言うに及んで「つけとどけです」。何を義理堅く贈り物だというんだろう。ものすごく強い力の背中に向かってンガーッと身体を逆らわせる。ようやく目が覚めた。

これは言う人に言わせれば「金縛り」ってやつなのか? いやいや、でもでもどこに「つけとどけです」という霊がいるって。目覚めて笑ってしまいそうになった。欲求不満の表れじゃないのか?ってね :)

そうだっ。ちょっと嬉しいことふたつ。

ひとつは隣の部屋の女性にあったときのこと。ばったり廊下で会ったら彼女は「ねぇ、痩せたよね?」という。私がそうだと言うと「実はきのうちらっと見かけたときにアレっ?って思ったのよ」「すごい変わったよー」と言ってくれた。

もちろん治療のために必要として減量しているんだけどさ、当然痩せるべき体型なんだしさ「痩せた」といわれるとちょっと嬉しいじゃない?そんなこと男性に言われたらもっと嬉しいんだけど♪と思ったけど回診に来た医師はデータとしての体重減を褒めてくれるだけでまったく気配なし。ちぇっ・・・。

もうひとつのうれしいことはさ、年齢が本当より若く見られたってこと。まあこれもまた女性に言われたんだけど、私より年上かなと思っていた人が実はひとつ下だったんだ。その人に「実は私より年下だと思ってた」「30台前半から35くらいかな」って。ムッフフフフフフ・・・・。

なんか入院生活が続いているので化粧を一切しないせいか肌の調子がよくなったのは確か。もともと色黒のほうではないし。そんななかでここの病院に来てから言われた年齢は一番若くて「32,3才」実年齢に近いところでは「38,9才」おおおおー、どっちにしろ42才よりは若く見られている。ムッフフフフフ・・・・。

この調子で痩せたらもっと若く見えるかな。がんばろっと。

体調も異常なし。心のひっかかりは今は大腸ポリープだろうか。こないだ検査で判明した時はショックだったし、辛い検査だったからもう二度とやりたくないと思ったけど、時間が経てば頑張れる気がしてくる。なので、ここに入院中にできることならとってしまいたいなと思ってる。

だってさー、このまま置いておいて時期を逃したらまた奥の奥まで入れられちゃうらしいから。そんなのはさすがに嫌なんだなぁー (^^;)

GODIVA 日本生命札幌ビル/札幌市

お初。どんなもんかな、と思って行ってみた。
チョコレートはもちろんクッキーのセットなんかも売っていた。

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ダーク・チョコレート・デカダンス 560円を飲んだ。
ホイップ無しにもできたんだけど、一応ブログ用にそのままで注文。

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うーん、うーん。美味しかったけど、それほど「これ!」っていう感じはナシ。日頃コーヒーとかも無糖で飲んでいる私にはやっぱり甘すぎた。でも疲れているときなら元気が出るかもヨ。

ちなみに友だちは抹茶。ホワイトチョコとのものだったけど、イマイチ抹茶の味は引き出せていなかったらしい。「京都宇治抹茶」とわざわざ謳っていることを考えると残念なところかもしれないね。

結論。リピーターになる確率は限りなくゼロに近い、かな。

GODIVA 日本生命札幌ビル

札幌市中央区北三条西4-1-1 日本生命札幌ビル 1F



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つかの間の外出。

昨夜から企んでいた外出が許可されて、午後から4時間ほど外出してきた。
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札幌駅の北口でタクシーを降りて駅周辺でぶらぶらと買い物。

自称バッグ屋のくせにまた買ってしまったよ。「ear PAPILLONNER」で麻混じりの素材だけど色合い的にも秋まで使えそうなバッグ。何かないかなぁ~とふらりと入って一目惚れしてしまった。

その後もストールが欲しいなぁ・・・と思ってフラフラして大丸へ。またここで出会ってしまった。一目惚れストール!

別にストレス溜まっていたわけじゃないけどさ。一目惚れで買うって結局衝動買いじゃんって言われそうだけど、今まで外れたことがないって自信があるのだ。もちろん今は使えないけどさ、退院したら大活躍すること間違いなし♪

その後友だちと待ち合わせてカフェでおしゃべり。今日はゆっくりたくさん喋れてよかった。ちゃんと話しておきたいなと思っていたことがあった。お子ちゃまには悪いけどちょっとママを貸してねって感じ。一緒だとやっぱりゆっくり話せないからね。

しかし人ってどうしてこうも他人の芝生が青く見えるんだろう。人それぞれに幸せがあって、もちろん自分も幸せ。その現状はあるくせに、たとえば彼女の優しいだんなさんと可愛いお子ちゃんのことを想像すると「羨ましい」という気持ちがふつふつと湧いてくる。

ないものねだりというものなのかね。

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札幌は今、はまなすの季節↑

タクシーで病院に戻る。札幌はなかなか湿度が高く汗だくになってしまったよ。よさこいの賑やかなのは大通り公園ではおさまっていなかった。札幌駅にもステージがあって踊っていた。この祭りを甘く見すぎた。すごい人出なんだもの。

今朝顔を出した医師からは「風邪は引かないように!」と念を押されたので本屋に寄って予定よりも一時間早く病院に戻った。ちょっと疲れちゃった。でも今日はリハビリが無かったからちょうどいい運動だったかな。

明日は頚から骨盤までのCT検査がある。大腸ポリープが見つけられてから検査にびびる。何も出ませんように。そう願うわー。

残りの検査を片付ける。

今日はまず婦人科の受診があった。
ついでなので子宮頸がんの検査もしてもらった。
何度受けても婦人科の検査って嫌なもんだ。検査されるときにカーテンを引くくらいなら、診察も最初から最後まで仮面でもかぶってやりたいものである。

そして最後の大きな検査は首から骨盤までのCTスキャン。輪切りにされたんだな?さては内臓脂肪の付き具合もわかるわけだな?どんだけついているんだろう?想像するだけで真っ白なんだろうなとは思うんだけどもさ。

これでだいたいの検査というものが終わっただろう。私の体の隅々まで「何か」があれば見つけてもらえるはず。安心といえば安心。だけど人間ドックのつもりでやったわけじゃないから、いまさら何も見つからないに越したことは無い。

だいたいが、大腸ポリープのことがまだ私の中に嫌な不安感を残しているわけで。誰か私の両肩に手を当てて私の目を見て「心配すんな。絶対大丈夫だから」と言ってくれないだろうか。当然医師であって欲しいんだけど。

まあ、そもそも医師はほとんどの場合「絶対」という言葉は使わない。もちろん看護師さんも。だから日頃心のケアをしてくれる看護師さんたちが私に「そっか、心配だよね・・・」と不安の吐き出しのためだけに声を掛けてくれる。その言葉もありがたいけど私の不安をひとつも消してはくれないんだよな。

早いところポリープをとってしまうに限るよね。検査して何でもないのが一番の不安消去材料となるわけで。



さて、今夜の夕食は海鮮やきそばだった。そろそろ食べたい病が出てきそうな私にとっては「ここまで」の線を引くのがなかなかきつかったよ。全部食べちゃいたい!・・・いや、思いとどめたよ。ココまで我慢したのにふんばれワタシ!

最近体重の減りが悪くなってきている。食事を制限するだけでは減量にも限度がある。その限度がそろそろ来たのか?今朝にいたっては便通も無いままに体重測定の時間を迎えてしまった。

看護師さんになんとか待ってもらって、「なんとかして」から体重を測った。昨日からの減はなんと-0.1キロ。100グラムしか減ってない。それもきっと「なんとかした」分でしかない。ううー、体重が減らないことがものすごいプレッシャーに感じてくる!

そろそろ誰かに誉めホメ作戦に出てもらいたい。オンナなんてものは「お、きれいになったね」なんてことを言われたら嬉しくなっちゃって出ない力も出し切れる・・・かもしれないわけで。

目標の10キロまでまだ半分。無理な気がするわぁ・・・。

ともあれ検査の大部分が終わった。あとは今週左肩からカテーテルを入れる。それくらいかな?週末には両親が来てくれる。カテーテルが入っていようともランチくらいの外出は許可してくれるらしい。それを励みに・・・がんばるか!

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また「ふあん」が1UP。

ドリカムのタイトルをちょっともじらせていただいた。

先日のCT検査で首の辺りに何か小さな影があることがわかったそうだ。エコーでもやってみないことには、それが何であるかもわからないらしい、医師が回診で触診したけどそれでもわからない程度のまだひよっこちゃん。

ひよっこちゃんでも今の私にとっては威力甚大。また「ふあん」がひとつ増えてしまった。全身の検査をして採っておいたほうがいい大腸ポリープがあっただけですでにお腹いっぱいだった。

なのになんだ。今度のは腫瘍系。もうお腹いっぱいだったワタシはもどしてしまいそうだよ。もちろん小さなもので調べた上で大きくならないなら経過観察されるんだろう。すぐに手術して取らないとって話じゃないだろう。こんなひよっこでビビってて、きっと笑われるようなことなんだと思う。そう思いたい。

でもちょっと今はもう勘弁して欲しかった。ワタシに「大丈夫だよ」って思わせてくれる環境で見つけて欲しかった。無理な話だけど。
ワタシに、ここで一人でどう消化しろっていうんだ?

また「ふあん」が1UP。どこまで上がり続けるんだ?


昨夜は午前三時頃に同室のおばあちゃんのいびきで目覚めてしまった。その単調なリズムはまるで上手なパーカッショニスト。一定に狂うことは無く、狂いそうなのはワタシのほうだった。ナースコールを押して看護師さんに突っついてもらったけど効果なし。眠れなくなってしまってしかたなく起きだしてデイルームで本を読む。朦朧と眠くてつい突っ伏して眠ってしまった。

一時間半くらい経ってからベッドに戻ったけどやっぱり続いてた。まんじりともせず過ごしていたら明け方に眠るチャンスが来た。30分くらいは眠れただろうか。起床時間が来てしまった。そのまま一日がスタート。

午前中にリハビリ一回目。ストレッチとバランスボードと早歩きとエアロバイクがワタシのメニューだった。汗だくになった。戻ったら親戚がお見舞いに来てくれていた。

午後には今日二回目のリハビリ。同じメニューをこなしてまた汗だく。その足で歯科の受診へ向かう。二本目の虫歯治療が終了。これで何かしみて痛かったら神経の治療をしなくてはならないとまた言われた。でもたぶん終わりかな。

そして歯科診療棟から遠い自分の病棟へと戻った。正直からだが疲れきっていた。なのにベッドに戻ると同時に医師が顔を出して一番最初に書いた1UPした不安の話を聞かされたわけ。もう身体ぐったり、心もげんなり。

ただ、医師の話はそれだけではなく、今後の予定が決まったよという話もあった。来月初旬から前治療を始めて、第二週あたりに「DAYゼロ」つまりは移植日をもってくるようだった。

・・・・・。


・・・・・。


ドリカムワンダーランド2011、無理くさいじゃないか。
行けないじゃないか。あきらめなくちゃならないとはわかっていたけれども。
だけれども・・・・・・。

でもワタシが虫歯なんかつくっていたからなのだ。自覚症状が無かったけどもっと早くに地元の歯科で治しておけばよかった。いやいや、まてよ。確かにワタシの虫歯治療に対する認識が浅いところはあったけどさ、今回の移植に向けて私は地元の歯科に通ったのだ。移植するときに虫歯が辛くなるとこまるから治しておきたいんですって。

でもさ、歯科医の白血病治療に関する知識が少ないからだろうけど、全歯に対するレントゲンを撮ったりしてくれなかった。歯槽膿漏の検査はしてくれたけど。うーん、すべては止むを得ないということか。今ココにこうして「ドリカムのコンサートに行けない」ということになっちゃった現実は受け入れなきゃダメか。

今後何かの予定のもとに移植をする人には気をつけてもらいたい。できるかぎり治せるトコはきっちりと片付けておいたらいいよ。後悔しないようにね。

んはぁ・・・。人生楽ありゃ・・・いや、苦ありゃ苦もあるさ。だな。
まるで九十九折の天城越え。
一番の高みに到着したときに今来た道を懐かしく振り返ることが出来るんだろうか。


<<自分用薬の覚書>>
医療用麻薬扱いのリン酸コデインからリン酸ジヒドロコデインに変更。
咳を抑制する作用はそのままに、痛み止め・精神安定・便秘など副作用を抑える。移植治療のために痛みの麻痺や排便コントロールを管理しやすくするため、が理由。

最強のオンナ。

どうして今日婦人科の受診があるのかさっぱり検討もつかず、不安満載で外来へと向かった。用事は「生理をとめます」ということだった。血液内科の医師からの依頼で婦人科が動いた、ということのようだ。

抗がん剤の治療中に「不必要な出血」をさせないためだそうだ。それと大きな理由が「卵巣の温存」という。抗がん剤は細胞分裂が活発な部分に攻撃を仕掛ける。だから生理で卵巣が活発であれば標的になる。他には髪の毛とかね。だから毛根が攻撃されて脱毛しちゃうんだよね。

毛根の活動は停止できないけれど、卵巣の動きを鈍らせることは出来るということ。その話の中でこの鈍らせた後に抗がん剤治療が過ぎ去っても動きが復活してこない場合があるという。そのまま動くことをやめてしまったら要は「閉経」とうことになる。

これらの話は初めてだった。今までの主治医たちから一度も聞いたことが無かった。卵子に関しては移植の際に全滅してしまいますという話はきいていたけど。このはじめての話が私に与えた衝撃は自身の想像を絶していた。「かなりショッキングな話ですね」「卵子の話は聞いていましたが」と私が言うと、婦人科の女医さんは「それでも卵子を保存するかどうかを聞いてくれただけでも主治医の方々はいろいろ考慮して気を使ってくれていると思いますよ」「そんなことを聞かれない人のほうが多いかもしれません」なんていう。

「そうですか」と婦人科を出ながら「だとしても女としてはこんな衝撃的な話は無いじゃないか」と心の中で思っていた。病棟への道がもっと長ければいいのに。赤目がなおりませんて。

病室に戻ってカーテンを閉めしばし泣いた。吐き出せ。吐き出せ。

しばらくしたころ医師チームの一人がやってきて今後の移植スケジュールを話してくれた。これはチャンスと思って部屋を変えてしばらく話をしてもらった。

その医師によれば、やっぱりここでも「医師が最悪の説明をしなければならない」ことを言っていた。そして同種移植(他人からの骨髄などを移植する)の人でも卵巣機能がキープできた人を知っているという。だから最悪のことはそうであって、必ずしもワタシがそうなるわけではないことも話してくれた。

私は今の辛いことを話した。いろんな衝撃的なことがどんどん私に入ってきて自分でまだ消化も出来ていないことも話した。今回のことなんかは特に自分の今後の健康不安に関わることで。

医師は今一番大変な病気を治すことを最優先に考えている。大腸ポリープとか甲状腺の腫瘍などはその治療をする中で最悪の事態を招かないように検査した中で出てきたものだから、ちゃんと観察しながらやるから安心してと言ってくれた。それに見つかったのはショックかもしれないけど、見つけないで放っておいたら大腸ポリープが大腸がんなんかになったら手術しなくちゃならないんだから、それももっと大変なことだったわけで。内視鏡でとれる程度のもので見つかってよかったと考えなくてはならない。

甲状腺の腫瘍も小さいうちから観察していれば最悪の事態にならなくて済んだということになる、と私に安心を与えてくれた。もちろん何人もの人にそう言ってもらってようやくそういう気持ちになってこられたわけでだけどね。

そして、今までいろいろ勉強してつらい治療を乗り越えて今に至っているわけですから、自分が精神的に弱いとか、自分を責めないようにしてくださいねと言われた。確かに。だいぶ強くなった。鍛冶屋に打たれる鉄のように叩かれて叩かれて少しずつ少しずつ強くなってきたはず。こんなことにメソメソヨワヨワな私じゃないさ。たぶん。

その医師は言っていた。白血病だと言われたショックから治療をすべて拒否してしまった人を診たことがあるそうだ。まずそこを乗り越えられただけでも強いんだよ、と言いたかったのかなぁ?

ただね、今日のことは私の人生に違う光と影を与えたことだけは確か。そして来るか来ないかわからない将来まで想像させられた。私が若い頃から思い描いていたような、お互いを思い合い年をとっていけるような伴侶に出会って老後を迎える、そんなことからかけ離れてしまったんじゃないだろうかなんていう深みにまではまりそうだ。

そうそう、医師の話にまた確率がでてきた。予後の良いタイプの自家移植では95%生存とも言われていると。がんばろうじゃないか。いつもは聞くのが嫌な確率も今日は救いの言葉に聞こえる。たとえ病気のことがつきまとう人生でも、あるだけ幸せだし。

また鉄は叩かれた。また少し強くなった。

最強のオンナになる日も近い?
そんなんで午後のリハビリはパス。今日は午前中のリハビリと婦人科に歯科でスケジュール満杯だった。

身体も疲れているなぁ。寝不足だし。なんとかしなくちゃ、だ。

体重との格闘。

ここ数日間、減量が遅々としてすすまない。
ここ四日間毎朝マイナス0.1の日々。

毎朝六時すぎには検温とともに体重を聞かれる。昨日は粘って粘ってなんとか「するものをして」マイナス0.1を叩き出した。ところが今朝はうんでもすんでもない。7時近くなってもうあきらめて測りにいった。かろうじてマイナス0.1。

まいった・・・。
もう下げ止まりじゃなかろうか。

食べるものも控え今日も1日2回のリハビリで汗を流してる。それも限界が来たのかなぁ・・・。しょんぼり。

そんな今夜の夕食はなんとドリアだった。病院食で?!
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ドリアは選択メニューで選んだんだよね。今夜の夕食にそれが出るってわかっていたのでちょっと楽しみにしていた。病院食を楽しみにするなんてことなかなか無いじゃん。

リハビリも頑張ってるし、ここんところ食べ物もセーブしているし「今夜は全部食ってやる!」くらいの勢いで手をつけ始めた。

・・・けど、手が止まったよ。さすがに。ここで食べたらたったマイナス0.1でも今までの苦労が水の泡だもんね。いつもより2口くらいは多く食べてしまったかもしんないけど。


昨夜も3時間眠っただろうか。もういいや、と朝4時にデイルームに行ってパソコンを開いた。今日は昼間寝ることにしようと思うしかなかったもんなぁー。

もう少しあと一週間か二週間がんばったら個室が待っている。耐えろー。

今日の回診>>
来週火曜日に髄注をする。恐怖だなぁ。脊髄から髄液を採取してがん細胞が無いかチェックして、そこに抗がん剤を注入する。これが痛い。肉には麻酔が効くけれど脊髄の中には麻酔が効かない。フングーッという痛み。

そして来週中に動脈から採血検査。たぶん鼠頸部だそうな。これは動脈からの血を調べることでどれだけ酸素が含まれているかを調べるんだって。肺の機能検査らしい。現状呼吸機能検査に問題ないのでたぶん大丈夫。

あとは27日頃に左肩鎖骨下からカテーテルをいれてラインを確保するらしい。

そして大事な抗がん剤。私への抗がん剤の投与はやっぱり医師たちを悩ませ続けているらしいんだけど、どうやら通常の自家移植よりも少々長めに抗がん剤で叩くらしい。はーぁ、だんだん怖くなってくるなぁ。


動脈からの採血。

動脈からの採血があった。来週かと思っていたのになぁ。
どうやら血管が細いらしい腕からではなく、鼠蹊部からとることになった。
いやん、下着、もうちょっと違うのにすればよかった(恥
・・・なんて言ってるヒマもなし。

医師は淡々と脈を取ってブスッとやった。痛かったので私は思わず「ウッ」と息を止めてしまった。片付けながら医師が「息止めたでしょ」という。「止めたらダメなんだよなぁ」と笑いながら去っていったので冗談かと思っていた。

夕方違う医師が来た。
「息、止めたでしょ」

またかよ!

「とめましたよー、痛かったもん」というと「あれね、止めちゃだめなんだ。血中の酸素濃度測るからね。後日誰かが取り直しに来るから」と。

・・・まじで?

どうやらマジらしい。息を止めるだけであっけなく血中酸素濃度は変わってしまうらしい。最低60くらいで、それを下ると肺機能不全といわれてしまうんだって。私はなんとその62だか63だったらしい。・・・やばい。

逆に意識して呼吸すると過呼吸状態で血中に二酸化炭素が多く出てしまってそれもだめなんだって。うーん。

せいぜい「先に言ってくれないんだもんなぁ」と悪態をついたさ。:)
しかたない。やり直しだ。

さて、体重。
やっぱり止まってしまったよ。今朝「することをして」意気揚々と体重計に乗ったものの、昨日の朝と変わらず。いったん降りて再度測りなおしてもダメ。がっかり。

週末は両親が来てくれるので一緒に外泊♪
食べ過ぎないように楽しんでこよう。

医師からの説明。

久しぶりに十勝から親が来た。午後から一時間ほどかけて医師の説明を聞く時間を設けて頂いていてたので、私の顔を見に来てくれたのだ。

医師からの説明はだいたい今まで聞いたことをなぞるものだった。
今まで、現状、そして移植のこと、そして最後の話は今後のこと。

まあ、正直きつい話もあった。

私の場合再発がかなり早い段階(半年くらい)だったことも考えると、この自己移植をしても50%の割合でまた再発する可能性が高いということ。そうなったら次は同種・同胞移植ということになるということ。

ただ、そうなっても私は寛解に持ち込みやすいタイプのようだということで、また寛解に持ち込んで移植に立ち向かうことができるだろうから、ということだった。何か良い事を言われたような気もするけど、また再発なんて縁起でもないような気もするし。

そう、ここでは悪いことも良いことも言われたのだ。

悪いことは、遅かれ早かれ再発はするだろうということ。
良いことは、そうなっても今度は別の人からの移植という手があるということ。

なんで良い事なのかと言うと、寛解に持ち込めない人も山ほど居るから。そうなれるだけ幸せものだということ。抗がん剤が効かないタイプの人は寛解にすらなれないのだから。

後ろ向きに考えればやっぱり私はどうやら長生きは出来ないようだ。親は考えたくなかろうが、私は彼らより長生きすることは無いかもしれない。

よっぽど運が良かったら、移植の後もずっと大丈夫かもしれないけど。
私のツキは果たしてどこまでつづくかな?

それでもなんだか落ち着いているのはなぜだろう。
あきらめとはまた違う「仕方ないか」という気持ちからだろうか。

都度、最善を尽くして頑張ってきてその結果そうなってしまったら、それはもうしょうがないことなのかもしれないような気がする。

そうだ、今回再発したときPCRという方法でミクロレベルの再発をした。それが11月。なんかね、この病気ってそのまま放っておいたら1-2ヶ月で爆発的にがん細胞が増えるんだって。

きちんと病院にかかって経過観察していたから早々に判明できたようなので、今回も移植後経過観察はまじめにしっかり見ていかなきゃってことだな。当たり前のことだけど。

さて、そんな話が終わって病院を出た。今日は外泊。
ちょっと買い物をして、いい時間になったのでホテルにチェックイン。

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しばし休んで歩いてすすきのまでご飯を食べに。居酒屋でちょっと頼みすぎて食べ過ぎちゃった。みんなして満腹になっちゃった。

明日のお昼ご飯までは一緒にいられる。さて、何を話そうか、と思ったけど・・・疲れたのか父母居眠り中。ちぇーっ

ベストウェスタンホテル札幌中島公園。

外泊時に泊まったホテルを紹介しとこうかな。
気に入ったので♪

札幌の中島公園すぐ北側辺りに位置していて、すすきのの南はずれなので歩いてすぐに北の歓楽街ってところ。今年2011年の4月にオープンしたばかりらしい。

内装はブラウンを基調としたシックな雰囲気で全体に「布」っぽくてあたたかくていい感じ。立体駐車場を持っているので、今回は駐車場無料で高層階指定のプランにした。16階建ての最上階からは中島公園などが見えた。

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朝食付きでバイキングだったんだけど、食事もとても手をかけていて美味しいものだった。ベッドもやわすぎずいい感じ。今回はひとり8500円。安いのにお得なホテルプランだった。

Best Western Hotel 札幌中島公園
TEL. 011-530-4055
〒064-0808 札幌市中央区南8条西3丁目10-10

WEBサイト




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グリル ラパン/札幌市

また食べにいっちゃった。グリルラパン。

こないだの記事(2011/5/26)

札幌で美味しいお店といってもすぐに思いつかないし、車のナビに入れてあったしってことで親も賛同して再訪となった。

今回はランチ。私はオムライス御膳(たしかそんな名前)。ここはオムライスが美味しいと知ったのは、前回の訪問の後だった。なので今回は絶対に食べたかったのだー。

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とろとろのオムレツにくるまれていて、中は普通のチキンライスではなくてお肉はひき肉だったなぁ。デミグラスとケチャップがかかっていてくどくなく美味しかった♪大正解!

ちょうどお昼時で大混雑だったんだけど、たまたま4人掛けに座ることが出来た。私たちの次の人たちからは数人待たなくては入れないほどの盛況ぶり。

この店は本当におすすめだよー。

グリル ラパン
011-512-2695
札幌市中央区南十七条西6-4-1 ラパンビル1F
営業時間 11:00~15:00(L.O.14:30)
17:00~22:00(L.O.21:30)
定休日 火曜日





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本を買う。

外泊中は特にじっくり親と話をすることも無かった。
私としては父にちゃんと話したいこともあったんだけど、なかなか向こうがそれを避けるので話せず仕舞い。母が言うにはそういう真っ向からの話に照れてしまって話をそらすんだろう、ということだった。

でも正直言って私としては何かあったら言えないのでできるだけ話したいんだけどなぁ・・・。親の気持ちとしては「縁起でもない」と「何かあったら」すら考えてはいけないという雰囲気。そんなこといわれても、今回の治療の危険性だって十分説明受けたじゃないかー。何があっても不思議は無いのにいつまでそこから逃げるんだろう?

ま、しかたない。覚悟を決めることは急かすことじゃないしな。
もしかしたら本当は心の中で覚悟なんか決めているのかもしれないし。
だとしたらもう触れないほうが親孝行なのかなぁ。

・・・わからん。

さて、今回の外泊で本を買ってきた。読みやすそうなものばかり。

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さくら剛さんの2冊。
・南米でオーパーツ探してる場合かよ! 
・インドなんてもう絶対に行くか!!なますてっ! 
これらはすでに一冊「インドなんて二度と行くかボケ!!」を読んで面白かったので買ってみた。旅行記みたいなエッセーみたいな楽な文章。楽しみ♪

あとは
・家族の分け前 / 森浩美
・あなたがいる場所 / 沢木耕太郎
・ツリーハウス / 角田 光代

疲れない程度に読んでみようと思う。

なんだか湿気っぽい札幌。
じんわりと暑いけど窓をあけても湿気しか入ってこないや。

体重を取り返せ。

必死。今日いちにち、増えてしまった体重を取り返すのに。

今回の外泊でとっても美味しいオムライスを食べて満足はしたものの、一夜明けて当然のように体重は700gも増えていた。

今朝の回診は本当にいやだったなぁ・・・。月曜日だから医師チームはほぼ全員で登場。ずらりと並んだ医師たちに体重記録簿を見られ、その中でもハッキリ言ってくださる(笑)一人の医師が、「ん?んんっ?」「なに、増えてんじゃん」「何食ったの?」「甘いもん食ったの?」と言われ・・・。別の医師が「まぁ、外泊してきたら、ねぇ」とフォローくれたものの、私はもう針のムシロ。「オ、オムライスとか・・・(消え入りそうな声)」

医師たちが私の抗がん剤の量を決めるのに苦労しているのに、当の本人がこんなことじゃぁねぇ。ごめんなさいごめんなさい。

というわけで今日は朝から食べ物をセーブできる限りセーブして、リハビリの運動も張り切ってやった。だってね、700gといえば先週毎日チビチビと落とした体重が無駄になったわけで。自分自身にもまた降りかかってきたわけで。

でもドッシリ重いことを言われてからの外泊で重い心をリフレッシュして戻ってきたんだし、良しとしちゃおうかなー。(アマアマ)

さて、明日はいよいよ髄注だ。イタイイタイ。
思い出してもおぞましい。

前回の髄注のときの記事(2010.5.10「仰向け」)

無事に終わりますように・・・。

髄注(ルンバール)

ルンバールとは腰椎穿刺(ようついせんし)とも言われて腰椎から脳脊髄液を採取することなんだけど、病院では今まで「髄注(ずいちゅう)」とか呼ばれていた。

今日はいよいよルンバールの日。前回行ったのが2010年の5月なので、私としては「治ってから(完全寛解になってから)するもんだ」と思っていた。

なのでこのタイミングってちょっとビックリ。確かに今までのと違って、がっつり自分の骨髄がダメージを受けるなど普通じゃないからなぁ、そうなってからルンバールをするのでは遅いのだろうか?

昼食を食べ終えて午後一時に医師がやってきた。

右下にした状態で穿刺を始めた。わりと痛がってしまってうまくいかない。その医師は場所を変えてトライしてみた。でもやっぱりうまくいかなくて別の医師に交替。その医師もそのままの体勢で2箇所から3箇所トライ。・・・ダメみたいだ。

すでに50分以上経っている。前回は苦労してもだいたい30分くらいで終わっていたのになぁ・・・しょぼーん。次にまた医師が変わって3人目。

一度すべてをリセットしてリラックスさせてくれた。そして「今度は左下にしてみよっか」と逆の体位へ。実は前回のルンバールでも左下にして行った。心のどこかでうまく行くような気がした。

一箇所めがやっぱりダメで、医師は次の場所を探した。探られるたびに背骨をグリグリされるのでそれもまた痛い。そしてまた麻酔。これがまた痛い。フィー・・・。

でもこの回はその後がまったくと言っていいほど痛くなかった。通常はギリギリまで麻酔を効かすことが出来ないから、最後の最後に髄液を取り出すときの刺し込みは痛いはずなのに。

でも痛くなくてうまくいったんならいいや。「ちょっと血液が混じったけどうまく採れましたから」と言ってくれたので。髄液を2~3cc採取。そして同量の抗がん剤を注入。それでおしまい。

前回筋肉痛のような痛みがあったのはたぶん神経にさわってしまったんだろう。今回はそういった痺れはなかったけどね、終わったとたんに変な話お尻の前と後ろ(要するに膣と肛門)あたりがビリビリした。

まぁそれは一過性でおさまったんだけど、今度仰向けで寝たら今度はお尻の両ほっぺが痺れたようになった。それはまるで誰かが後ろから私のケツペタを両手でふんぐっと掴み上に持ち上げてヒップアップしてくれているような感じ。同時に両脚の後ろ側(太ももからふくらはぎにかけて)も痺れたようになっていた。

安静期間30分が過ぎる頃にはだいぶよくなってたので安心した。あのままヒップアップされつづけたら私はベネズエラかどっかのバレーボール選手のようにプリリンとしたおケツになっていたことだろう。それはそれでいいことかも?


その後30分の安静期間で頭痛も出ずにすごすことが出来た。地元の病院で約半日安静期間をとったことを質問してみたら、「たぶん以前長く頭痛が出てしまった人がいたから医師も慎重になっているんでしょう」とのことだった。針の刺し口がきちんと閉まって髄液が漏れることさえなければいいそうだ。

ただ、頭痛が残っても嫌なので私としては自主的に安静を続けている。今も速攻パソコンを打っているのよ。ブラインドタッチまでいかないけども。(^^;)

そうだ、自分のおぼえとして、熱が出た。ルンバールが終わって少しした頃37.5度くらいの微熱が2時間くらい続いた。もう下がったけども。なんだったんだろう。抗がん剤が入ってきたのでびっくりしたかしら。


さて、昨日の奮闘の結果!今朝体重が落ちていたぜ!700g増えてて焦ったけど、今朝はなんと900g減っていた。ほっとしたー!また軌道修正でがんばります。

動脈採血。

なんと今朝も体重が減っていた。それも900g。どうしたんだろう?リハビリを続けたおかげで代謝がよくなってきたのかなぁ?・・・にしても減りすぎ。

入院時から7キロ減ったよ。たった4週間で。今はほとんど健康体なわけで病気で落ちたというわけではない。なのでやっぱり私の日常的な摂取カロリーがいかに多かったのかということだよねー。

リハビリとか大威張りで言っていてもスポーツジムでいうところの初心者程度だもんなぁ。まぁ、それを午前と午後の二回行くわけだからいい感じなのかしら。

なーんつって、明日には停滞に入るかもしれないしな。



今朝はイチバンで甲状腺のエコー検査に行ってきた。暗い部屋の中でじーっと画面を見ていたら、私にもわかった。黒い影。大したことなければいいなぁ・・・。甲状腺のポリープって様子見で長年過ごせる人もいるらしいし。

検査の帰り道、ふと気持ちが向いて美容室に行った。髪が伸びてしまっていたので抗がん剤治療を前にがっつり切ってもらった。それでも地元のおばあちゃんだらけの病棟とは違うわけで、ちょっと色気づいてバリカンはできなかった。上は少し長めに残してもらってしまった。


そして昼食後に動脈採血の再検査があった。・・・なのに、今度は採血することが出来なかった。太っちょのワタシの腕からも鼠頸部からも動脈にジャストミートすることができなかったのだ。なんだよう・・・先日の医師は採ってくれたのにぃ・・・・。と文句を言っても始まらない。ワタシが脂肪を脱がなくては。また痛い思いをしなくてはならないわけで。

動脈の酸素密度だかなんだかを測っておくには意味があって、今健常なときの基本となるデータを記録しておくことによって、移植治療の際に具合が悪くなったらまた同じように動脈から採血をして比較できるということのようだ。

痛かったなぁ、しかし。見れば針はグッサリとワタシの手首に刺さっている。息を止めちゃいけないので喋りながら見ていた。脂肪や肉が厚いとドキンドキンという動脈の脈打つ感覚もバラけてしまうらしくって、いかに血管を採りなれた医師でも難しいそうだ。

昨日のルンバール同様、ごめんなさいごめんなさい。


なので今日もまた体重減らしに躍起になっている私。医師たちに報いられるのはそれしかないからさ。クソまじめなワタシはそれしか思いつかんのさ。

新病室。

新しい病室に午前中に移動した。
一ヶ月お世話になった看護師さんたちは「頑張ってきてね」と励ましてくれたぞ。
短い間だったのにうれしいこっちゃ。

田舎ものなのでストックも含め大量の荷物。
下着なんか捨ててもいいくらい持ってきている。
ワゴンにふたつドーンと登場。

新しい病棟は、病棟ごとクリーン・ルームのようになっている。地元の病院でクリーンルームと呼んでいた大型の空気清浄機つきの部屋が全体にあって、病棟と外界は自動ドアで仕切られている。多少のゆるい部分はそこに存在している。

ワタシのようにまだその病棟の大部屋にいるような人間は外に出ることも可能。今後出ることが許可されなくなったら自動ドアの中の世界だけで用が足りるようにはなっている。もっと厳しくなったら無菌室からその廊下にすら出られなくなる、というわけだ。

新しい部屋には70代くらい、60代くらい、40代くらいのワタシと近そうな人の4人部屋。最初は向こうも様子見だったようでシーンとして「暗っ」と思ったけれど、だんだん話すようになってきたらなんだかちょっとお喋り好きみたい。音楽を聴いてても話しかけられる。パソコンに向かっても話しかけられる。うーん、ちょっと一人時間も欲しいかも。ちょっと「話しかけるなオーラ」出しちゃおうかなー。:)

早く個室に行きたいなぁ・・・。

さて、今日は引越ししてリハビリしてあとは本を読んだだけ。
体重が減る要素ゼロ。ヤバし。

抗がん剤治療は来週から。今日きた主治医の言うところによるとM3で自家移植という例が少ないので、参考にしているのは海外のやり方だそうな。でも海外の場合、ワタシみたいな体型はちっとも太っている類に入らないので、そのままでやると薬の量が多すぎるんだって。なのでそれよりは少なめで且つ十分な量で少々長い期間抗がん剤の投与をするということだった。

「10日間は血球が上がってこないから」という言葉にワタシが思いっきりビビッていると、「みんなやってるから大丈夫だよ」だって。それでも参考にしているのは日本じゃなくて海外なんでしょ?日本人としてはビビるでしょー、普通・・・。

まあ、やってみなきゃわかんないよな。徐々に気持ち作っていかなきゃーだ。

病気におけるメンタリティー。

ときに暗い夜じゃなくても何かに弾かれたらプツッと糸が切れて泣いてしまいそうになることがある。ひどいときは周りが騒がしければ騒がしいほど、まるで自分がいるそこだけがブラックホールのようにスィーッと落ち込むこともある。

病人としてのワタシはどちらかといえばあまり表にそんな感情を出さないほうだと思う。というか出せないほうというべきか。なので医師たちも看護師さんもあまり気にかけてはいないかもしれない。

「なんでも話してくださいね」「吐き出してくださいね」「溜め込まないでくださいね」そんな言葉を言ってくれるけど、数少ない人数でコタコタに働いている彼らを見ていると吐き出すことができない。

たぶん、「ワタシはあなたの話聞き係です」みたいな人がつきあってくれたら安心して話せるのかもしれない。・・・そんな人居ないし。それにいても大部屋でなんか話せないし。

素直に吐き出す人に比べてやっかいな患者かもしれない。

今日なんかはこの先のことを考えたらたまらなくなってしまったのだ。この自家移植でワタシの人生は少しだけ延びた。でも先日の医師の話ではたぶん1~2年のうちに再発する可能性が高いという話だった。そのときまたワタシはつぎに「延ばす」方法を見つけるわけだ。

同室にいる同種移植したおばさんが言う。移植してからずっと全身にいろんな感染症にかかってボロボロだって。そんな状態がツライツライと言う。そうなんだよなぁ、「延びても」苦しい人生が待っているかもしれないんだ。

もしそのとき親が亡くなっていたら、私はひとりで何のために誰のために生きていくという気持ちになれるのか、そんなことを想像してしまう。

たぶん病人のメンタリティーとしてはいけないことなんだと思う。前向きにいなくてはいけないんだろうと思う。んー、でもこういうときがたまにあるんだ。吐き出すことが出来たとしてもたぶん心にはずつとひっかかってこれから生きていくんだろうなぁ。


もうさぁ、来週から面会謝絶の治療が始まる。こないだ友達が「面会に行きたいんだけどなぁ」と言ってくれていたことを人づてに聞いた。思ってるんなら来いよ、と性格の悪いワタシが心の中で言う。私だったら会いにいく。会えないままでバイバイになるリスクだってある治療なんだもん。・・・大丈夫かもしれないけど。いや、大丈夫であってほしいけど。


そう、昔こんなことを言う友達がいた。「忙しいから会えない」はイイワケだと彼は言った。会いたいと思えば万難を排して会えるようにするはずだって。そんな理由を言う時点で大して会わなくてもいいと思ってるって。

たまにその言葉を思い出す。それだけの関係なんだと割り切るのはとても寂しいことだけど。


「今がそのとき」・・・じゃないってことだよね?


いやいや大丈夫。ワタシは大丈夫。

家族の一人はブログなんかに自分の感情を書いてどうすると私に言った。それがマイナス思考のことならなおさら、読む人にそれを押し付けてどうするってね。


なのでごめんね。読んでしまった人。押し付けてごめんね。


また明るめの私に戻るからさ。こんな気持ちの日もあったという記録ということで勘弁してください。


あとで少し明るめの日記を書きますね。