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どんどよよーん。

どんどよよよーん、といっても気分ではなくて身体がね。

ツキのものがね、やってきて。
なんか久しぶりに体がダルーイ。だるおも。

おまけに頭痛・・・どんどよよよーん。

お部屋のおばあちゃんたちがワイワイ賑やかにやっている。
私も喋るけれど長く続かない。疲れる。

もともと一人が好きっていうのもあるけれども。www

今日もお友だちが来てくれた♪
ウレシ♪
喋っていると気分も軽くなるんだ。
あけぴょん、アリガトー♪

ワタワタの一日。

わたわたしていた。

ん?方言か?

あわただしかった。

というか、お部屋のおばあちゃんたちがすっかり仲良くなってワイワイガヤガヤと今日もやっていたので時間が早く感じられた。

さっき耳鼻科にかかって戻ってもまだ喋ってる。何時間?ふぅ。
私はといえば体調が悪くて正直仲間に入ることが出来ずにいる。
といってもあんまり参加しないとアレなのでたまに喋る。
疲れる。の繰り返し。www

さて、そんな夕方。
母がケーキを持ってきてくれた。
イトコが私のために買ってくれたらしい。柳月のヒナケーキ。

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10センチかな。楽しみ楽しみ晩御飯と一緒に食べようっと。
でも半分くらいにしとかないとちょっと食べすぎだねwww

あー、気持ちが張る。
明日、たぶん月曜日の骨髄穿刺の結果が出るはず。
今日寝られるかなぁ。なんてきっとおやすみ3秒だろうけど。

初めての成果。

いまね、すこしだけニヤつきながらパソコンに向かってるの。

昨日から気を揉んでいた骨髄穿刺の結果が出たんだ。

そう、合格だった!
でも・・・かろうじてギリギリのラインに引っかかっての合格。

昼の回診のとき、主治医の足音が近づいてきてカーテン越しに「開けていいー?」と声がかかる。「明るい顔してますかー?」とつい言葉を返す。どうか明るい顔で入ってきて欲しい・・・。

と、入ってきた主治医の顔はなんということはないいつもの平均的な顔。「まだPCRの結果が届いてないんだよね」ということだった。なんだよぉー、ドキドキして損したー。

そのときの話では、もし結果が前回の100分の1まで減っていたら一応の合格ラインとして、あと少しトリセノックスを続けよう、ということだった。でもたとえ減っていても10分の1程度なら残念だけどそこで打ち切り、だと。


その後いつ結果を持ってきてくれるのかとハラハラ待つこと約五時間。午後五時頃にようやく主治医がカーテンの向こうに足音を響かせた。

内心「きたっ」とドキドキする私。「入るよー」という主治医に「いい結果でした?」とたたみかけちゃったよ。

結果はギリギリの100分の1合格ライン。前後どちらかはわからないけれど、医師たちで話し合った結果「続行しよう」ということになったとか。そして心臓は大丈夫そうなのでまたトリセノックスを増量することとなった。

けれども砒素であるトリセノックスの「安全性」と「保険適用」の期限である60日を過ぎることは出来ないので、すでに51日投与しているので今回は2週間ではなく最後の9日間の勝負となった。

最終決戦の日は14日。その日に再度骨髄穿刺をすることになる。

泣いても笑っても、いや、その結果が良くても悪くてもトリセノックスはおしまい。どうかどうかこの9日間で成果が上がりますように。



この51日間の治療ではじめての「成果」だよ。
ここまで何度も悔し泣きだったけれど、今日はうれし泣き。

今夜の夕食はまるで祝い膳のようだったよ。
ひな祭りのお膳だけどね。

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チラシ寿司とちょっぴりのケーキ。


主治医にずっと「前向きに」といわれ続けてきたけれど、成果が表れないのでは前向きにもなれなかった。それがね、自然に「前向きに」なれる今夜。明日から最後の9日間頑張れる、頑張れるよ、とそう思うのでした。

トリセノックス増量。

トリセノックスは13.5mgに増量された。

今日からリ・スタートである。

その副作用とも言い切れないけれど、ちょっと今日は不調です。

午後から不整脈を感じて横になったら胃の上部が気持ち悪い。
トイレで吐こうとしても何もでない。気持ちの悪さだけ続き、横になっていたら夕方になってめまいがする。大きく大きく目が回るかんじ。

真上を向いても大丈夫なんだけど横になるときつい。なんなんだろう。看護師さんにも医師にも伝えたけれども原因はイマイチわからず。

しいて言えば私はずっと耳鳴りの症状があるからなぁ。そんなところなんだろうか。血圧も酸素も大丈夫だった。嫌だねぇ・・・。

さっそく不調だけれど、薬の副作用ではないようなので続行です。


ところで。
昨日は私にとってはいい日だったけれど、実は叔父が亡くなったと聞いたんだ。ガンだったらしい。昨年の夏に我が家に来てくれたときには、痴呆も軽くあったのかもう私のことは認識していなかった。優しい叔父だったなぁ。なんだか嫌なもんだね。私も年をとっているんだから、周りのみんなも老いていくのは当然なのにね。

自分の親にいたっては、いつまでも死なないような感覚すらあるけれど。そんなわけも無いんだよね。いつまでも思春期みたいな対応をしていたらいけないなぁ、と反省してみたりする。

こういう状況にならないと気づかないのは恥ずかしいけれども。去年だってそうだったのに、退院してだんだん元気になるにつれまた父に対して思春期みたいな応対をしてしまう。アホだね。

うーん、ちょっと疲れた。
胸がくるしい感じがするなぁ。
休むか。

なーんて一日中ベッドの上で「休んで」いるくせにね。

また明日。

一秒、一分、一日の積み重ねが「また明日」を作ってくれる。
大事に大事に、ね。

みんなありがとうねー。コメント、メール、拍手、電話、会いに来てくれてうれすぃよー。力もらっているよー。大好きだよー。

なーんて言ってみたりして。

(笑)

継続。

今日も同じような時間にめまいと吐き気アリ。

テレビも携帯もPCも見るのが嫌なほどなので眼精疲労かともおもうけど、
トリセノツクス増量の日から同じ不快感ということで
すこしワタシの中では副作用も考えてしまう、
ってーことで、今日もこのへんで・・・。

すんません。

すこしだいじょぶ。

昨日よりかはすこし大丈夫。

でも変わらず軽いめまいと吐き気アリ。

主治医はトリセノックスの副作用でめまいは無いだろう、という結論に達したようで。もともと耳鳴りやらいろいろと抱えているので耳鼻科関連かもしんないみたいだけど。

こんな日もあらぁな。


ところで、同室に若い女性が入ってきた。どうやら同じ病気の同じ型のようだ。正直いってうらやましいなぁ。今はきっと前向きに治ることだけを信じて治療に突き進んでいるときだろう。

・・・なので、ワタシが再発組であることはずっとずっと言わずにいた。けど、今日話しかけられて結局話す羽目になった。「気にしたら困るから言わなかったんだ」と言うと「あ、大丈夫」と笑って言ってくれた。

それが本意なのかはさだかじゃないけれど、もし本当なのだとしたら前向きな心の方が勝っているということだから、安心できた。
ワタシもそうだったっけ。前向きで周囲に絶対大丈夫と太鼓判を押されていたあの頃。まさか自分が再発しようとは思わなかったものねぇ。強い強いあの頃の私。どこへいっちまったんだかねぇ。



ところで、すこし嬉しいお知らせ。
ワタシのトリセノックス治療は12日で一旦終了。その後結果の良し悪しに関わらず一旦外泊できそうだ。そのタイミングで誕生日を自宅で迎えられそう・・かも。
まだまだ決定ではないけれど、ちょっと息抜きが出来るのはとっても嬉しい♪

早寝しますわ。

めまい、ひどくなってきている。
今日はTVを録画して早寝しよう。

運悪く耳鼻科は明日手術日で休診の日。
あさってになってしまった。
つらいなぁ。
こんな自律神経の関係のつらさをどう伝えよう。

ちくしょーめ。抗がん剤でつらいんならまだマシなのにな。

また明日。

特になし。

これといって何も無い日。

いつものように治療を進めて、
いつものようにめまいが起きて
いつものように吐き気がして。

横になってつらいんだからもうどうしょもなくて、
またまた悲しくなってきた。


だめねぇ。


医師が耳鼻科にかかるようにいってくれたのが救い。


つらいつらいと言いはじめたらキリがなく、
言ってもしかたのないことだしね。

でもね、今夜の夜勤のの看護師さんがね
「ワタシもめまい時々あるからつらさがわかるよー」と
言ってくれたその言葉がやけに嬉しかった。

毎日毎日、主治医や薬剤師さん、看護師さんと・・・何人もの人に「ここがこうつらいのだ」と訴えても、「うーん」「トリセノックスの副作じゃない」「困ったね」「大丈夫?」といろいろ言っていただくけれど、この「つらさがわかる」という同調の言葉がなんだかとっても嬉しかった。


人の苦しみは100年でも我慢できるという。

たしかに。

目に見えない苦しみをわかってもらおうなんてなかなか無理なことだよね。

ふうー疲れた。

ってことで、また明日。

耳鼻科、異常なし。

まったく・・・せっかくかかった耳鼻科で「異常なし」の結果が出たよ。

喜ばしいことなのか?

医師がコタコタにひっくり返されたりして検査して、その後云々かんぬんと説明し考えられることをすべてつぶしていったうえで「というわけで耳鼻科的要因がみつかりませんねぇ」ということだった。

そして「少なくともメニエールとか腫瘍などではないということで安心はしていただけるかと」と続けた。確かにそうだけども。

じゃあこの、こうしてPCを打っていてもおきている気持ちの悪い感覚は一体何なのだろうね?耳の後ろあたりから後頭部にかけて拍動がドクドクいっているしねぇ。

あとはなんなのか、わかんないけど抗がん剤もあと3日後が終了日。
体から薬が抜けたら楽になるのかもしれない。

もうすこし辛抱するしかないのかもなー。


※翌日読み返したら「てにをは」のおかしなへんちくりんの文章だったので、訂正しました。
めまいのせいってことで・・・ww(2011/3/10)

点滴時間延長。

トリセノツクスの投与時間が三時間から四時間に延長された。耳鼻科の「問題なし」を受けてのことのようで、主治医と薬剤師さんが考えてくれたらしい。

こんな主題ではないアナザーストーリーのような、はたまたスピンオフのような私のチマチマした不具合をちゃんと考えて対応してくれることがとても嬉しかった。

とはいえすぐに症状が良くなるわけでもないのよね。こうして打っていても頭がクラクラっとするしね。しょうがないんだろうと我慢するのみ。

しっかし同室のおばあちゃんたち、仲良くなるのはいいんだけど・・・訛りがきつい喋り方でひっきりなしに会話している。それがつらい。耳鳴りやめまいの中、安静にしていたいので仕方なく両耳にイヤホンをつけて音楽を聴いている。

静かになれないなら音楽の方がいいもん。

そんなときに気に入って聴いているのはAORミュージックの代表格のようなAnita Baker。ねっとりしたメロウな雰囲気が今の私には心地いい。



地震すごい。

NTTの回線状況が良くないのでとっとと打ってしまわなくては。

今日の宮城県沖の地震、すごかった。
私はそのとき眼科受診で一階にいたんだけど、5階の病棟ではとんでもなく揺れたらしい。強くて長くて本当に恐ろしかったー。建物がぎしぎしいってるんだもの。

うん、地震報告はこんなところかな。無事です。


眼科の話。

昨日より和らいできたからかからなくても良かった、と後悔してしまった。・・・というのも、イケメン出張医(この際関係無いけれどもwww)がワタシを診察して「このペンを追ってください」というのでドキドキしながら(また関係ないけれどもwww)目で追った。

「2本に見えますか?」「はい」「・・・えっ?」

どうやら2本に見えてはいけないところで見えてしまったらしく、だんだん発言に自信がなくなってきたワタシに「いや、見えてるなら見えてるでいいんですよ」という。

「じゃあ、はい、本当に見えてます」

その後たくさんたくさんチェックして眼底検査まで受けた。
目の奥に問題は無いけれども、後日MRIをとることになった。「なんでもないと思いますよ」「なんでもないことを確認しましょう」と。

そこはビビリのワタシ。「腫瘍とかそういう話ですか?」と聞いてみた。「ま、それもなんでもないことを、ね。」と。白血病のことは主治医からの手紙が渡っているし、抗がん剤の点滴をしながら行ったので「こんな病気だし、なんかあったら嫌なんですけどー」と言っても仕方の無いことを愚痴ってみた。

イケメン先生は「ま、なんでもないと思いますよ」と繰り返すのみ。
うーん、そう思おう。だいじょぶだいじょぶ。


さて、そんな私に主治医が明日から2泊3日の外泊にいっていいよ、といってくれた、明日点滴が終わり次第♪嬉しいス。

外泊しました。

まずは大地震の被害に遭った方々にお見舞い申し上げます。
津波というものがこれほどまでの破壊力を持っているということを
目の当たりにして、命があることの幸せを感じてしまいます。
ひとりでも多くの人々に早く安寧の日々が訪れますように。


さあ、ここからは今日のワタクシのちんまい幸せを書きますね。


最後のトリセノックス(MAX60日間)を終えて、我が家へ帰ってきたっ。

おお、デカイいパソコン画面。ありがたい・・・。
さっそくPCの電源を入れるあたり私らしい。(*'ー'*)ふふっ♪

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そして次に向かったのはベッド!!

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いやー、セミダボー!デカイ私にとって病院のシングルベッドはもう嫌でしょうがなかった。セミダボー!ワンダホー!(≧∀≦*)ノ

今夜の夕食は味噌ラーメン。切望したメニュー。あっつあつの出来立てをズズーッと食べられる幸せ。心から充足感を与えられたひと時でしたーっ。

今回の外泊はとりあえず月曜日まで。
しばし英気を養います。

たまにあることながら。

【14日UP】13日の地震に関する記載でご気分を害された方がいたので当該内容を削除しました。

しかしながらあまりに一方的で気分のいいものではなかった。多くの方々が地震に関して書いているのに正直「なぜ私の記事にだけ?」という気持ちもある。消費電力の高いテレビで地震情報に見入ってしまったにせよ、それをそれほど長く見ないで消したことを私は書いていない。また、一番気になったのはブログを携帯からメールで更新していることも私は書いていない。いずれも私の体調の悪さから。ダラダラとPCに向かっていたわけではない。ただそんなことを逆に書く必要があったのかな。

「きっと部屋もとても暖かくて・・・」と言われてもね。それこそそこまで言われる筋合いがあるんだろうか。北海道だから今時期暖房はもちろん入っている。今の病状から風邪を引くことも出来ないし。けど、必要以上に暖かいわけでは無い。記事に書いてあること以外を勝手な憶測までして批判されたくは無い。

ブログ書いてるとたまにこういった思いのたけを書いてこられることはある。以前テレビドラマの感想を書いたときもあったっけ。思わず検索したことがある。私と同じく批判的にそのドラマを捉えて記事にしていた人はものすごくたくさんいた。けれども、IPで検索してもそのコメント主が他のブログを非難している記述は見つからなかった。

「ニュースをテレビじゃなくてネットで見ればいい」とコメントしたあなたは、じゃあ電力を使いPCをつけてニュースに見入っているのでは?これは私の一方的な憶測。「違うのに」と苛立ったなら、あなたも私と同じ気持ち。そして被災地の知人の安否が気になっているのも私も同じ。全てを書いていないだけ。一方的な決め付けでのコメントはいかがなものか。

まず大前提に、もしあなたが私の知人ならメルアド知ってるんだからメールして。こんなコメントに反論記事を出す必要も無い。直接話しましょ。めんどくさいから。

同じような内容の記事でも私のブログは批判コメントをしやすいんだろうか。当該記事にすでに「拍手」くださっていた10数人の方々には申し訳ないけれど、気分を害した人がいる以上削除ということで。しかし・・・またこれも「携帯からメールで瞬間的に更新しました」とわざわざ書くべきなのかしらね。嫌味かもしれないけれど正直な感想。

長々と見直しながら打つのも親指がほとほと疲れるわけで。

現実。

60日間続いた抗がん剤の投与も今日は無かったわけだけど、まだまだ眩暈みたいなクラクラは残っていた。ご飯は美味しくいただいたけど、満腹になるのが早くすこし吐き気が残る。

それでも自宅で過ごすのは何よりの幸せ。
今朝カーテンを開けた瞬間の感情はなんとも不思議なものだった。

「夢みたい」

ウチにいることが夢みたいなのではなくて、ここにいるのが当たり前で入院生活を70日近く送っていたことがまるで夢みたいなのだ。

当然明日も病院に戻るわけだけど、だから入院生活は嫌な現実としてそこにあるわけで。もう終わって欲しいよ。まだまだ先は長いのに自宅の快適さがヨワヨワの私を目覚めさせちゃったかもな。

再外泊。

骨髄穿刺をし、採血をして今夜からまた外泊。
木曜日に骨髄の結果が出る。
マルクの時、主治医は「たのむよ」と声を掛けてきた。
私の方が頼みたい心境だった。自分の身体に。
どうかどうかガン細胞が検出されませんように。
まだ前哨戦。本当の闘いはこれからなのだから。

しあわせなこと。

ありがたいことに今日、42回目の誕生日を迎えることが出来た。

「誕生日おめでとう」という親に
「42年間、育ててくれてありがとう」とつい言ってしまった。

そんなん嫁入りの娘が親に言う言葉じゃんか。
でもなんか嫁にもいかずお世話になりっぱなしの私はそんなもんかもしれない。

2009年のクリスマスから、それまで多少の波風しかなかった私の人生はコテンパンに変動した。その半年の闘病生活、その後昨年末の再発。そして二度目の闘い。今度は暗中模索の闘病生活。

その間も私はずっと親に支えられてばかりいる。大の大人が「育ててもらって」しまっている。正直いって情け無い。本当に情け無い。病気になったのがたとえ自分のせいじゃなくても親には感謝と同時に「ごめんなさい」という言葉しか無い。

なんとかしてこれから何回も誕生日を迎えます。
また祝ってください。ずっとずっと二人も元気で祝ってください。
お願いばかりのこんなワガママな娘ですが。


先日の批判コメント主の言葉がかなり私の心に刺さっている。
その人は「具にも付かない言葉をタイプして」と言った。
正しくは「愚にも付かない」。批判するなら漢字を調べてからにして(笑)

愚にもつかぬ事を言ってるかもしれない。そう思ったらブログを更新する手が止まる。
だけど、語彙が少なくても文章がヘタクソでも、それでも私は私の思いを出来事を気に掛けて読んでくれてる友達や大切な人たちに伝え続ける。

でも本意を伝えられないもしくは誤解を与える文章となってしまっていたことを、私は恥じなくてはならないんだけども。

ちょっと凹んだ分、立ち直りの決意文デシタ( `д´)


さて、拍手コメントありがとうございます。
*なすさんへ*
いつもありがとう。励まされてるよ。本当に感謝!
*maroさんへ*
そうねぇ、いろんな人がいるんだよ。私は間違ったことをしてないなら強くブレちゃいけないんだけど。感じ方も人それぞれだから不快に感じたという相手の気持ちも尊重しつつ。でも文が下手というのは私のよくない事なんだろうな。きちんと伝えられるものを書かなくては。(反省
*ゆんさんへ*
はじめまして♪もしも不安になるようなことが書いてあっても、この病気は人によって本当にそれぞれだから軽くスルーしてくださいね。でも声を掛けてくれて嬉しいです。5年後も10年後も笑えるように頑張ろうね!




今年も誕生日を迎えられたこと  わたしは本当にしあわせです。

春も近づく。


見えるかな。

地面に転がったチューリップから芽が出ていたよ。

春も近いんだね。

明日。

寒いです。北海道の十勝では今朝雪が降ってました。

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東北も雪ですね。どうか風邪をひかれませんように。


いよいよ明日である。
月曜日に採った骨髄の結果が明日の午後くらいにはわかるだろうか。
病院に戻り採血と心電図を撮ってその時間を待つ予定。

がん細胞が消えていたら(再寛解に持ち込めたら)一定の休薬期間の後、維持療法をしつつ札幌へ自己移植のためのタイミングを計ることとなる。

でもその期待はとても少ないんじゃないだろうかと思っている。

再寛解に持ち込めなかった場合、それでも一定期間の休薬期間をとるけれども、その後違う抗がん剤に切り替えて再寛解を狙う。この割合のほうが私は高いのではないだろうかと思う。もう「期待」をしてガッカリすることが嫌なんだ。

またともかく明日。腹をくくらねば。

体調はだいぶ吐き気も少なくなってる。目からくるクラクラは相変わらずあるけれども。でもこの数日の外泊でリフレッシュできたので、まぁがんばれそうかな。

結果は明日に延期。

朝、病院に戻った。採血をして心電図とって待った。

・・・待った。

しかーし!なんと地震の影響か、郵便物である骨髄穿刺の結果が届かなかった。
明日眼科の受診があるので、もともと病院には戻る予定。
なので結果はその時まで持ち越しとなった。

明日は郵便着くだろうか。
着くまで結果報告は延びるだけなんだけどさ。
なんとなく落ち着かないわな。

そんな感じで今夜も外泊です。
今日の採血の結果、白血球は1400→2100に増えていた。
なのでだいぶ免疫力は高まったといえる。少し安心。

小さいけれども。

募金の金額って相場なんてものが無いわけで正直ちょっと悩む。
同じように悩んでるかもしれない人のために参考にしたふたつの例を掲載します。

まずは、誰だったか著名人のコラムで書いてあった。
「年収の1%程度でも十分」みたいな。
結局わたしはこの計算方法で募金額を決めた。

ふたつめは、糸井重里さんがTwitterでこう言っていた。
「じぶんひとりを3日雇えるくらいのお金」
   ※「ほぼ日刊イトイ新聞」より

今、会社員じゃない私はこの計算方法は難しい。
自分の日当がわかる方はこの方法もアリかもしれない。

もちろんドカーンと寄付できるひとはそうしたらいい。
けど、無理は禁物だと思うんだ。
気持ちはすごくあるけれど自分の生活が苦しくなっては元も子もないし。


ちっちゃいことだけど、抗がん剤も高いし、今の私に出来る精一杯のこと。
送り先はこれまたいろいろ悩んだけれど、
いろんな企業も結局は日本赤十字社に寄付しているようだし、
その後の使い方が明白であることから、そこに決めた。
ちなみにクレジットカードでも大丈夫だった。
私は今あんまり出歩けないので助かった。




最近義援金詐欺が出回っているようなので、あえてリンクは掲載しませんね。
「日本赤十字社」のキーワードですぐに検索ヒットするので確認してください。

またも持ち越し。

今日の午後はちょっと忙しかった。
病院に戻り眼科で筋力テスト。あ、目のね。(≧∀≦*)
そしてMRIを受けた。
眼科で受けるのは初めて。脳も撮るので、目から頭から固定されて約40分弱。ガーンガーン、ゴンゴンといううるさく狭いトンネルの中で「眼球も動かさないでください」と言われ・・・。ヘトヘト。

そして診察。
結果から言うと症状も改善してきているし、おそらく抗がん剤の影響と思われ眼科としては特に問題なし、経過観察と言われた。ほっとした。これでなんか腫瘍とかあったら・・・と正直ビビっていたのだ。

そして午後5時過ぎ。
外来診察を終え主治医が病棟に戻ってきた。

今日も結果は来なかった。でもどうやら地震の関係では無いらしく、なぜ遅れているのか問い合わせたところ「再々検査をしている」とのことだったらしい。

え・・・。と私の顔が曇ったのを見て主治医が「僕はますます期待しているんだけど」という。そして今回はなぜ期待するのかの理由を教えてくれた。難しいからザックリとだけど。

一発でプラス(がん細胞が残っている)という結果が出れば報告はすぐにでも送られてくるらしい。再検査を繰り返すということは、マイナス(がん細胞がゼロ)という結果が出たから「果たしてその結果は正しいのか」を確認するらしい。

PCR法というのはとてもデリケートな検査だそうで、その悪い遺伝子をキャッチするのがなかなか難しいらしいのだ。簡単にキャッチできないからこそマイナスという結果のほうが簡単に出るんだって。もっともっと難しい説明だったけど単純に書くと伝わりにくいかな・・・。

なので再検査を重ねているということは現状マイナスなのではないか、ということなのだ。確かにそれなら期待してもいいのかもしれない。

ただ主治医は「あ、でも違ってたらごめんね」と念を押す。

でも大丈夫。私は良い結果でも悪い結果でもほぼ90%くらいは「頑張ろう」と腹をくくっている。もし悪い結果でも先に進むのみなのだ。

ああ、ようやく自然と前向きになるようになった。

まあそれはまだこの先に打つ手が残っているから、だろうけれども。

とにかく今日からしばらくまた外泊で自宅で過ごすことになった。


拍手コメントありがとうございます。
*ゆんさんへ*
ありがとうございます!ゆんさんも再発組でしたか!お互いベテランですね(*'ー'*)心強いです。頑張りましょう!
*marukoさんへ*
心強い言葉をありがとうございます。まずは自分自身のことを考えて、ですね。確かに、そうですね。いろんな事柄についつい振り回されがちなブレブレの私ですが、懸命に生きていきたいと思います。ありがとうございます。

すわ、スポーツ刈り。

ギリギリの線だ。

あと一歩でスポーツ刈りだ。
でもそこは上手な美容師さんのカットでギリセーフ。

それにしても前回の治療でツルッパゲになった後生えてきた髪の毛は、よく言われているようにくせっ毛だった。それを数回カットしているうちに、もともとの私のピンっとなるストレート剛毛に戻ってしまった。

なのでベリーショートにするとツンツンしてしまうので、形によってはスポーツ刈りのようになってしまいそうだったのよ。美容師さんの技術に感謝(≧∀≦*)





安堵の日。

今日ね、仙台に住む友人からメールが来た。

回線の混雑が落ち着いた頃まで我慢しようと思っていたけれど、1週間悶々としていたのでメールを送ってみたんだ。どうかどうか無事でいて欲しいと返信を祈った。

良かった。ホッッッッッとした。

彼のお宅は揺れで内部はぐちゃぐちゃだけれども、家族みんな無事とのことだった。もうひとりの友人は別の都市に避難しているけれど無事だと教えてくれた。

ようやく安堵した。悶々とした日々、長かったなぁ。

さて、今日はちょっと体調も良いし浴槽に入ってみた。
おケツに洗面器を椅子にしてカテーテルが濡れないようにそろーっと。

やっぱりお湯に浸かるのはいい。カテーテルを留めるのや、心電図モニターの電極のシールで皮膚が痛んでカサカサになってしまっていたので、じんわり湿度を与えられたし。

そして日中は私の運転で母とスーパーに行った。ふらつきもなくなっていたので大丈夫。明日はカテーテルのつまり止めを流しに病院に行ってこなきゃならないんだけど、自分で行けそうだ。

こんなに復調してきたら、ほんと病人だということを忘れそうだよ。

まだまだ闘いの途中。
夢から覚めてガックリこないように気持ちは残しておかないと。







やはり病人か。

元気なようだったので病院まで自分で運転していってきた。
運転に何の問題も無く帰宅。
別にフツウに乗れたじゃん、と思ったんだけど、
自宅で靴を脱いで歩いてふらついた。

あれ・・・?

この感覚を前にも感じたことがあると思った。

それは帯広から札幌まで日帰りでほとんど私が運転したときだった。
運転しているときまではいいんだけども、
帰宅してから同じような感じだったっけ。

共通するのは疲労と緊張だ。
札幌の往復に比べたら今日なんかちょろっと走っただけ。
だけどきっと自分の状態から緊張していたんだろうなぁ。

思っていなくても自然と負荷がかかっているようだ。
もちろん母にそのことを話したら「やっぱりまだダメ」と言われちゃった。
・・・ハィ。本人も自覚しております。(≧∀≦;)

そうそう、ちょっと寄り道したのよ。
あさひやまでケーキを買いに足を伸ばしたの。せっかく久しぶりのケーキだし、「最近の六花亭は・・・」と不満を言うハメになるよりも、間違いなく美味しいあさひやの「栗のタルト」を食べたかったのさ。
ま、結果は大正解。めっちゃ美味でした。

なんか本当は写真ものっけて美味いもんとして書きたいところだけれど、不謹慎とか言われたら嫌だなぁと自粛した自分がいる。まるで恐怖心。日記ブログだから好きに書きたい気もするけれど、叩く人ってどこでも突っ込んでくるからなぁ。ちょっと寂しいわぁ。




Superflyの志帆さんが今回の震災にあたって書き下ろされた曲だそうです。
ピアノとボーカルだけですが、シンプルに心に響きます。

テンションMAXです。

ありえない・・・。( ゚д゚)ポカーン


ありえない・・・。( ゚д゚)ポカーン


ありえない・・・・・・。( ゚д゚)ポカーン


ありえないんですっっ!Σ(゚∀゚ノ)ノキャー


ドリブログに、まさかの私の名前が載っているじゃあーりませんか!



それが、これだ。


1・2・3 ド━━━━m9(゚∀゚)━━━━ン!! (←パクリだ)


March 22, 2011 「スタジオから何度も外へ出て。」by中村正人


公言してやまないことだが、私はドリカムが大好きでファンクラブにも入っている。そしてドリファンのコミュニケーション広場である掲示板「ドリボード」の利用者でもあるのよ。

今回、外泊してて久々にドリボードを見たら、最後に私が投稿したのは(利用者であると言うのもおこがましいけど)2009年の11月。白血病を発病するほぼ直前だった。読んでもらえるなんて思いもしないまま、今年のDWLに絶対に楽しみにしてるって心持ちを「とどけ!」と願って書いたわけよ。

もちろん日々大量の書き込みがあるわけだし、今は震災のテーマの書き込みが多いから埋もれてしまうだろうな、くらいに思っていた。

けど・・・届いた!ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ
まささんに私のちっちゃい声が届いたんだよ!

ありえる?

いや、ありえないでしょー。もう!

それもカタカナでカドリエって書きゃいいものを、私はいつものトルコ語スペルのままで打ってしまった。きっとめんどくさくてコピペしただろうなぁ、まささん。(*'ー'*)

にしても嬉しい。

なんかめっちゃ力をもらった!今の薬が効いてるかの結果すら未だなのに、このまま順調に進んでも7月末は怪しいのに。でも絶対行くからって気持ちがますます強くなった。

そしてね、欲張って「生きられるかな」みたいなずっと先の未来の心配でくよくよするよりも、ちょっと一歩先の未来が力をくれるんだなぁと思った。ダメもとでやってみるもんなんだよね。そしてその一歩が実を結んだら、また一歩前に行く力で踏みしめることが出来るかもしれないもん。



ありがとう。そして、まっててください、まささん。

髪の毛が無くっても帽子を被ればいいし(真夏だけどww)、力が無くって立ってノリノリはできないかもしれないけれど、私、かならず行きますから!

22周年おめでとう!

DCT.garden http://www.dctgarden.com/index.html
ドリブログ http://blog.dctgarden.com/
 

いただきもの。

いただきものふたつ。

友だちが夕張の石炭ドーナツをくれた。夕張は財政破綻した北海道の町としてたぶん道外のみなさんもご存知かな。復興にいろいろ取り組んでいる町。

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これがビックリ。マジ美味!真っ黒なのは竹炭パウダーが練りこまれているからだとか。けどもちろん炭の味ではなくてチョコ味。しっとりとやわらかくて、ふわっとしつつもチョコの重厚な味がする。

誉めすぎじゃないと思うよ。ほんと美味しい。
機会があればぜひ一度食べてみて。

さて、もうひとつのいただきもの。

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がらっと変わるけれど、同じ病室のおばあちゃんがくれたの。爪楊枝いれ。手作りなんだって。もっと若いときなら「オバチャンぽい」と思ったかもしれないけど、なんか可愛いと思ったし同じような病気で闘ってるおばあちゃんの手作りとなればなんかとても嬉しかった。

K山のおばあちゃん、ありがとう。ずっと大切にします。



震災を受けて中山美穂さんが作詞、辻さんが作曲されたそうです。
説明欄に歌詞が掲載されてますが、子供にもわかるようにか
ヒラガナで記載されているのが好感持てました。
なんだか心に残るメロディの優しい歌です。

似てる歌。

そういえば、昨日の記事に掲載した中山美穂さんの歌「とおくはなれてても」が、なんか懐かしく心に残る曲だなぁと思ったんだけど、この雰囲気が似ている曲を思い出した。

それはPeter Paul and Maryの「500 Miles」



なんか似てない?
そっくりなわけでは決して無くって、流れと雰囲気が似てる。
どちらもやわらかい旋律。
でもどちらかといえば「500 Miles」の方が歌詞も含め切ない印象だよね。

ああ、この曲があったからなんか懐かしい感じがしたんだなー。
って話でした。(≧∀≦*)

再寛解になりました。

外泊から病院にもどり採血をして主治医が来るのを待った。

昼食がちょうど運ばれてきた頃、医師はまず私とは別の違う担当患者に回診した。私はもうドキドキなのかワクワクなのか不安なのか期待なのかわかんない気持ちでそれが終わるのを待っていた。

そしてようやく腰を上げて私の方へ。

ジャジャジャジャンッ!

そう言いながら笑顔を向けて「消えたよ!」と言ってくれた!
もうもう、もうもう、私の顔は緩むにいいだけ緩んじゃったよ。ニヘラ~とたぶんなんともだらしないフニャケ顔だったんじゃないかな。思わずそのとけ落ちちゃいそうなホッペの筋肉を支えようとするように両手で顔を押さえた。そうでもしなきゃ顔が緩んでしまってしょうがない。

(・∀・)ニヤニヤ

(・∀・)ニヤニヤ

(・∀・)ニヤニヤ


再寛解に入ったのよ!もちろんゼロではないかもしれないけれど、精密な検査にひっかかる程度のがん細胞は私の血液の中からいなくなった状態。

ここからがスタートなのだ。再発して、自家移植をするためにはまず私の体をその「寛解」の状態にしなくてはならなかった。ようやく、ようやく一歩踏み出してもいい状態になったのだ。


。・゚・(ノ∀`)・゚・。 う・・・嬉すぃ・・・。

ここからは「地固め療法」となる。この寛解状態を自家移植の時までキープしなくてはならない。そのために、また同じ抗がん剤(トリセノックス)を同量投与していく。今度は月~金曜日の5日間投与して、土日はお休み。それを5週間で1セットとなるらしい。

すぐに札幌の移植病院のベッドが空けば5週間もやらないし、満床が続いてなかなか行くことができなければ2セットやらなきゃならない。いずれにしても札幌の病院に行くまでは投与し続けるということらしい。

とりあえず今日はまた外泊して自宅にいる。主治医の話ではトリセノックスの教科書的休薬期間は5週間だそうで、しばし身体を休めることになりそうだ。

そして、この後のことで宿題を出された。

それはカテーテル。今の状態は下記の写真の右側のもので、カテーテルがそのままブラリと出ていて、この方法だと最長72時間しかつまり止めが効かない。そして感染症の観点から、この状態でお風呂にざぶんと浸かることは出来ない。水に濡れたら必ずすぐに消毒が必要。だけど必要なくなれば外してしまって、必要になったらまた差し込めばいい。

そして出された宿題はこのカテーテルの状態ではなくて、リザーバーという皮下に金属製のプラグを埋め込み、点滴はここのプラグに針を差込むというものらしい。

写真右側↓
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お隣のベッドの患者さんが写真を撮らせてくれました。

それによって血管に直結しているしプラグは皮下なので衛生的でお風呂にも普通に入れるという。ただ、主治医は私が他の人よりも再発のリスクを多く持っていることを挙げて、このプラグは治癒とされる5年間は入れっぱなしにして欲しい、という。後で看護師さんの話を聞くと、取り外すのはまた外科的に軽い手術になるので(5センチほど切開するらしい)一生入れておく人が多いという。

そう、このふたつのどちらにするかを考えておくのが宿題。

迷う。一生といわれたらちょっとびびる。でも看護師さんが言っていたんだけど、このタイプにすると胸元の開いた服も着られるし温泉にだって行けるし、というのが魅力的ではある。そして親に話したら、父は「一生入れておかなくたって5年後に外せばいいだろう」という。そうだよね、重く考えずそうすればいいのかもしれない・・・。

だけど、身体に金属パーツが入ったままというのはやっぱりちょっと引くんだよなぁ。なんか外したらすきっと何も無いのがいいし。一長一短。答え出ず。しばし数日悩むことにします。


いずれにしても今とても嬉しくて今日はいい夢を見られそうです。

虫歯。

歯医者に行ってきた。

自家移植に向けてがっちり虫歯を治しておかなくては。

歯医者さんにワガママな事情を言って短い期間でぎゅっといろいろとやってもらうことになった。虫歯治療とクリーニング。

知らなかったんだけど、歯茎や歯のクリーニングって約3か月しかもたないんだって。日頃フロスと歯間ブラシと歯ブラシできちんと磨いているけれど、それはあくまでも歯茎より上の部分のケアなんだって。


ところで、今回の震災ではペットたちの救済も叫ばれている。今回わたしは飼い主を失ったペットたちを救う活動をしている団体への寄付に参加した。

物資を求める団体はたくさんあることがネットでわかった。でも、どこにって決められないし結局大きな団体である「財団法人 日本動物愛護協会」にしようかと考えた。物資の支援を求めていたから。

でも送り先が東京なんだよね。北海道からだと被災地を飛びこえる。陸路からなら北海道からもしっかり行くことが出来るし道内でまとめているところはないかと考えていた。

そしたらね、母が北海道新聞の小さな記事を見つけたと教えてくれた。

(株)リアルドッグフードという余市の会社が3/29まで物資を受け付けて被災地まで運んでくれるという。この会社はちゃんと「宮城県動物愛護センター」に必要物資を問い合わせた上で活動しているようだ。

実は我が家では、昨年Zoeさんを亡くして買いだめしてあったフードや砂、そしてもちろんトイレやベッドなどをいつかボランティアの方に提供しようと保管してあった。

その「いつか」がこの時と思ったのよ。今動かなきゃ、だよね。

迷惑になっては困るので全てを列記してメールしてみたら受け取っていただけることになった。ありがたい。私が個人で持っていけるわけじゃないから本当に助かる。

そしてZoeさんもこうやって活躍できたらきっとよろこんでくれるはず♪
どうかどうか一匹でも多くのペットたちが家族と再会できますように、それが無理でも新しい家族とあったかいお家に出会えますように。人間とおんなじ、生き抜いて欲しいなぁと思う。

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訪問と応援と。

このブログ、昨日気づけば4万アクセスを過ぎました。

発病以来アクセスが増えて今やリピーターの方が過半数。
キーワード解析は帯広のことと白血病のことが多いかな。
少しか検索した答えに協力できてますか?

コメント欄だけじゃなく、たくさんの拍手もいただいてます。
書き込みがなくても、拍手カウントを見て勝手に応援されてる気になってます。

いつもいつもありがとう。
みんなのおかげで私は頑張れてます。
カッコつけじゃなくて本心です。

強気発言は多いですが、ついつい凹みがちの私に
みんなのパワーはほんと効いてます。薬並みです(≧∀≦*)

今度ともよろしくお願いします。