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老少不定かー。

今までもブログで公言してきたように、私はこれといった宗教を持たない。
それは親がそうだから、もう必然的にそういう「頼るもの」を持たなかった。

それでも白血病を告げられた時にはなんとなーく「神様もえらい試練を与えたもんだ」なんていう、「すわキリスト信仰か?」みたいな発言をしてみたり、治療がうまくいけば「生かされているんだなぁ」なんていう「仏教徒じゃ?」的な発言をしてみたりと、漠然と「何か」を言葉に例えることはある。

それもこれも環境なんじゃないかと思うんだけど・・・父方はカトリックで母方は仏教徒の親戚が多いのだ。一応赤ちゃんのときにカトリックの洗礼なんかも受けちゃっていたりするし。親戚が亡くなったら教会だったりお寺だったりと神父さんやら住職の説法を耳にしていた。

いや、それで今日の本題。

今回の葬儀はセレモニーホールでやったけれど、叔父が信心深く寺と付き合っていたので浄土真宗のお寺のお坊さんが来た。その中でお経の本が配られたのよ。

先述のように子供のころからお葬式の機会があればそのお経の本を目にしていたけれど、内心「漢字ばかりでいまいちわかんない」と思ってパラパラっとながめるだけだった。その中に蓮如上人という人の「白骨の章」(という文章があることすら今回初めて知ったんだけど)の中に、「老少不定(ろうしょうふじょう)」という言葉が出てくる。

年をとった人が先に死んで若い人は後から死ぬとは決まってないんだよ、という意味らしい。私がこの病気になったとき、年老いた親戚たちは「順番ってものがあるんだからね」とか「若い人が先に行くなんて…」みたいなことを言っていた。もちろん言ってる本人も本当にそうであるとは思っていないだろうけど。

老少不定。

確かに。たしかにそうなんだよね。この蓮如上人という人はこの文章で言ってることを漠然と捉えてみると、誰が先に死ぬかなんてわからない。人生なんか短い儚いものなのだ。目先の喜びや悲しみばかりにとらわれて生きることではなく、今の幸せをありがとう、後生もよろしくと阿弥陀仏に念仏しなさいよ。みたいな感じかな、と。

まぁ、信心していない私にとって「念仏」の件はさておいて、もっと広い視野に目をおいて生きていけばくよくよ悩むことも無いのかもしれないなぁ~ということはこの文章から感じられた。



ああ、このブログで宗教や政治の話はしたくないので(いろんな人が見るものだから面倒は避けたいからね)このへんにしておこう。ただ偏った考えにならなければ「なるほど」ということも「教え」にはあるんだねーって話。